後書き


この「群馬県の縄文時代遺跡」は、「群馬県の古墳」の姉妹編です。
私はもともと古墳時代と同じくらい縄文時代にも興味はあるのですが、群馬県内の縄文時代の遺跡を紹介するWWWサイトを作るのは困難だと思っていました。
まず、古墳というものは、群馬県内に多数(だれでも見に行けるような形で)残っているのに対し、群馬県内の縄文時代の遺跡の多くは、調査が終わると埋め戻されたり建物が建ったりして、現地に行ってみても何もないように見えてしまうものが多いと思います。
それに、古墳時代(少なくともそのうちのある時期以降)には、今の「群馬県」にほぼ相当する地域が、「上毛野」というまとまりのある地域と考えられていたらしく、しかも、古墳の数や規模から考えて、「東国」の中心地の一つだった可能性が大きいので、「群馬県の...」というまとめ方にある程度本質的な意味があるかもしれませんが、縄文時代では、便宜的な意味しかないでしょう。
また、群馬県内に現存する古墳だけでも私の手に余るほどの数量があるし、他にもやっていることはあるので、この上、さらに他のことに手を出すのは、あまり賢明とは言えないかもしれません。
従って、この「群馬県の縄文時代遺跡」を作るのはだいぶ躊躇しました。
それにもかかわらず、これを作ることにしたのは、古墳または古墳時代の遺跡の写真を撮りに行く時に、近くに縄文時代遺跡があれば、どうしてもそれらも見に行きたくなるし、行ってみると案外見学できるような形で残っているものもあるので、自然に写真が貯まってきて、「これらを死蔵しておくと何の役にもたたないけれども、公開することにより、何がしかの価値が出るかもしれない」と思えてきたからです。
そうは言っても、作のを躊躇していた理由はそのまま残っているので、「群馬県の古墳」に対して、量・質共に、さらにそれらの改善速度も、見劣りする状態が続くかもしれませんが、少しずつ改善は続けるつもりですので、気長に見てください。
なお、出土物の紹介ももう少し増やした方が良いというご意見をいただいたことがあります。
私自身もそう思いますが、出土物を撮影できる機会は比較的少ないので、なかなか思うようにはいかないのが実状です。
それでも、機会があるごとに少しずつ増やしていくつもりではあります。



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