第二十章  法子の罠  9月  2日 午後10時

「湯の町の切り裂きジャックの異名で呼ばれ、群馬県の榛名湖畔周辺の住民や観光客を震え上がらせていた通り魔殺人事件の犯人が、今夜18時、警視庁八王子署に逮捕されました」

私達は、ロビーにある大画面のテレビで、「切り裂きジャック逮捕」のニュースを見ていた。法子の言った通り、逮捕まで本当に時間の問題だったようだ。

「犯人は、八王子市にある私立大学の法学部の助教授で、三つの殺人事件の動機は、一つは不倫、一つは借金の返済、そしてもう一つは、仕事上のトラブルということで、事件の異常性と共に、その複雑な背景が、今後の取り調べでどう判明して行くかが、注目されております」

ニュースキャスターがそこまで言った時、皇さんが、

「俺達の大学がポイントだとは思っていたけど、まさか法学部の助教授が犯人とは思わなかったなァ」

「そうだな」

藤堂さんも、複雑な表情で画面を見つめていた。

「犯人が、この犯行を思い立ったのは、キャンパスで偶然拾ったノートの中味だということです。そのノートには、推理小説の設定資料が書かれており、それをもとに今回の事件を考えついたということです」

キャスターは呆れ顔になり、

「全くもって、推理小説を地で行こうとした、稚拙な考えの持ち主と言うべきでしょう」

と言い添えた。その言葉は別の意味で、私達に衝撃的だった。

「推理小説の資料が犯行を思い立った原因だったなんて...」

裕子先輩は、悲しげに呟いた。実際に推理小説を書いている華子先輩と須美恵先輩は顔を見合わせたまま、押し黙っていた。

「稚拙なんかじゃないですよ。少なくとも警察は、私達が偶然気づいたことを知らされていなければ、未だに犯人を逮捕することができなかったでしょうから」

と法子が口を開いた。美砂江は、テレビに目を向けたままで、

「そうよねェ。テレビのワイドショーで、犯罪心理学の専門家や、推理作家とかが、犯人像について分析してたけど、その中の誰一人として、犯人は大学の助教授だなんて言ってなかったものね」

と身震いしながら言った。

「考えてみれば、あの先生の講義、受けてたのよね」

とようやく華子先輩が声を出した。須美恵先輩は頷いて、

「何か、今さらながら、ゾッとするわね。全然そんな素振りなかったから」

「そうだな。俺もあの先生のゼミに出ていたんだ。何か、嘘みたいな話だよな」

皇さんは、溜息を吐きながらそう言った。

「でもまだ、武さんと草薙さんを殺した犯人は捕まっていません」

法子のその一言は、そこにいる一同を真冬の北海道の原野に放り出すような、強烈なものだった。

「でも大丈夫です。草薙さんが言い残してくれた言葉で、犯人がわかりそうなんです」

藤堂さんや皇さんは、お互いに顔を見合わせ、囁き合っているようだ。華子先輩と須美恵先輩もそうだ。

「戸塚さん、何だっけ? 」

と法子は行子に言った。行子は頷いて、

「静ちゃん、『神社に行けば、わかる』って言ってたんです」

と一同に言った。法子は、

「ですから、明日、高崎署の田島さんに連絡して、榛名神社に行ってみようと思っています」

と付け加えた。藤堂さんが、

「中津さんは、犯人が我々の中にいると考えているのか? 」

と尋ねた。法子は首を横に振って、

「それはまだわかりません。でもやがて明日にはその答えが出ると思います」

と言った。こうして、法子の罠は張られた。しかし私には、同好会の人達の中に犯人がいるとは、どうしても思えなかった。
 

それから私達は各自の部屋に戻った。
 

しばらく私は、ベッドに横になってボンヤリと天井を眺めていた。

「はい? 」

ノックの音に我に返り、ロックを外して、ドアを開いた。入って来たのは、法子だった。彼女は廊下に誰もいないのを確認してからドアを閉じ、私を見た。

「どうしたの? 妙に警戒してない? 」

と私が尋ねると、法子は頷いて、

「ええ。だれにも気づかれないように、保養所を出て、榛名神社に行くの」

「えっ? 」

私はギクリとして法子を見た。ということは当然のことながら...。
 
「私も? 」

「そうよ」

法子はニコニコして言った。私は呼吸を整えてから、確実に喋ろうと意識して声を発した。

「どういうことなの? 」

「さっき私がロビーで言ったのは、挑発なのよ。犯人を神社に行かせるためのね」

「何ですって!? 」

私は大声を出してしまってから、慌てて口を手で押さえた。この行為、何の意味もないのよね。

「だから私達で先回りして、犯人を待ち伏せするの」

「ほ、本気なのォ? 」

私は身震いして問い正した。法子は真剣な顔つきになって、

「ええ、本気よ。私が知る限りでは、まだ物証がないのよ。というより、もう少しで手に入ると思うの。明日になれば、その答えがはっきりすると思うんだけど」

と答えた。私はますますわからなくなり、

「どういう意味なの? 」

と尋ねてみた。法子は、

「犯人が誰かわかった時、いくつか引っかかることが思い浮かんで来たので、それを確かめるために、田島さんに調査をお願いしてあるの」

「えっ? 田島さんに? 」

田島さん、今頃張り切ってるんだろうなァ。

「それから警視庁にもお願いして、犯人が持っていた設定資料の一部をFAXしてくれるように言ってあるの」

「そうなの...」

確かにそこまで手回ししてあれば、あとは犯人を言い逃れのできない状態で捕らえればOKだ。でも..。

「大丈夫なの? 犯人がもし襲いかかって来たら、どうするのよ? 」

「その可能性がないとは言えないけど、不意を突けば、絶対取り押さえられるはずよ」

「ウーン、何か不安だなァ....」

と私が腕組みして考え込むと、法子は、

「お願い。こんなこと頼めるの、律子だけなのよ」

と手を合わせて、懇願するような目で、私を見た。私はその目にノックアウトされた気分だった。

「わかったわ、法子さん。おつき合いしますわ」

「ありがとう、律子! 」

法子はよほど嬉しかったのか、私に抱きついて来た。私は何故かドキドキしてしまった。
 

それからしばらくして、私達は、そっと保養所を抜け出した。そして、脇を通っている道路まで行くと、黒塗りのセダンが停まっていた。どうやら、田島さんらしい。なーんだ、ドキドキして損しちゃった。

「本気ですか、中津さん? 」

と田島さんは、助手席に乗り込んだ法子に尋ねた。法子はシートベルトをしながら、

「もちろん本気です。行きましょう、田島さん」

と応えた。田島さんはあまり乗り気ではないようなのだが、

「わかりました」

と応え、セダンを発進させた。
 

しばらくして、セダンは榛名神社の山門の前まで来た。

「自分は車をどこかに隠してから行きます。先に行っていて下さい。すぐに後を追いますから」

と田島さんは、私達を降ろすと、走り去ってしまった。急に寂しさが増長し、恐怖が心の中を埋め尽くし始めた。

「行くわよ、律子」

と法子は懐中電灯を点けて、さっさと歩き始めてしまった。

「待ってよ、法子」

私は慌てて彼女を追いかけた。

少し先に進んだところで、やっと田島さんが追いついて来た。私は少しホッとした。

「もう少しね」

と法子が囁いた。最後の階段を昇り、本殿の前に出た。誰もいない夜の神社なんて、もう二度と来たくない。そう思うくらい、恐ろしかった。

「どこかに隠れましょう」

と法子が言い、私達は、本殿の脇に身を潜めることにした。

「来るのかしら、犯人」

と私が囁くと、法子は、

「来るわ。犯人には、もう時間がないんだから」

「......」

私は思わず田島さんと顔を見合わせてしまった。
 

どれくらい待ったのだろうか? 誰かが階段を駆け上がって来る気配がした。

「来たようね」

と法子が呟いた。私の心臓は、今にも肋骨を破って出て来そうだった。

犯人の影が見え、やがて夜の闇に紛れたその本体が、私の視界に入った。犯人は、懐中電灯を出し、絵馬が下げられているところに近づき、舐めるように絵馬を調べ始めた。探しているのだ。私達が奉納した絵馬を。

「切り裂きジャックさん、もうやめましょう、こんなお芝居は。もう幕引きよ」

と法子が不意に飛び出し、犯人を挑発した。これには田島さんもビックリし、すぐさま法子と犯人の間に入った。そして、

「高崎署刑事第一課の田島だ。動くな」

と怒鳴った。すると犯人は、ダッと逃げ出した。

「逃がすか!! 」

と田島さんは、果敢にも犯人にタックルして押さえ込み、逃亡を阻止した。法子が転がった懐中電灯を手に持ち、

「往生際が悪いわよ、切り裂きジャックさん」

と犯人の顔を照らした。
 

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第二十一章  法子の対決  9月  3日 午前  5時