私は法子に付き従うようにして、静枝の部屋に向かった。
「昼食の用意ができてるみたいだよ」
階段のところで、藤堂さんと皇さんに出会った。法子は微笑んで、
「わかりました。すぐに行きます」
と応えた。藤堂さんが、
「じゃ、先に行ってるね」
と言い、階段を降りて行った。皇さんもそれに続いた。二人が階段を降り切るのを待ってから、法子と私は、静枝のいる11号室の前に立った。
「どうぞ」
ノックの音に応えた静枝の声は、すっかり怒りがおさまっているようであった。
「お邪魔します」
と法子は言い、ドアを開いた。私達が中に入ると、静枝と行子はニコニコ笑いながら、ベッドの端に仲良く並んで座っていた。
「さっきはごめんなさい、中津さん」
と静枝は意外にもペコリと頭を下げた。法子もすぐさま、
「こちらこそ。戸塚さんがあまり可哀想なので、つい言い過ぎてしまいました。ごめんなさい」
と頭を下げた。すると静枝は苦笑いをして、
「さすが、中津さんね。裕子先輩が、しきりに貴女のこと入会させたがっていた理由が、さっきよくわかったわ。私、完敗だったものね」
「そんなこと.....」
と法子は微笑んで応じた。しかし静枝は、
「いえ、ホントよ。貴女の言った通りなの。私、尊通さんにエラリー・クイーンを批判されても、反論するだけの知識がなかったの。だから行子がクイーンのことを話そうとした時、さえぎったのよ。全く、呆れるほどその通りだったの」
とやや自嘲気味に言った。その時行子が、
「静ちゃんにエラリー・クイーンを読むように薦めたのは私なんです。だから....」
と静枝をかばいたいのか、精一杯声を出しているという感じで言った。静枝は優しい目で行子を見て、
「ありがとう、行子。でもごめんね。尊通さんのことまで貴女に無理に言わせたのは、ホントに悪かったわ」
「もういいのよ。もうそのことは言わないで。武さんの耳に入ったら、私、死んじゃう」
と行子は恥ずかしそうに下を向いて言った。静枝は少し呆れた顔になり、
「どうしてよ。好きな人に好きだってわかってもらうことが、どうして貴女が死んじゃう理由になるのよ? 」
「だ、だって、私みたいな女が武さんのこと好きになったって、静ちゃんにかなうわけないし、武さんにも嫌われちゃいそうだし....」
行子はどんどん下を向いてしまい、声も小さくなって行った。
「そんなこと、どうしてわかるのよ? 尊通さんと私、最近ケンカばっかりしてるのよ。これから先も今までのような関係が続くかどうかわからないし.....」
静枝の言葉に、行子は顔を上げ、目を見開いた。静枝はいたずらっぽく笑って、
「そのケンカの原因がね、貴女なのよ、行子」
「えっ? 」
行子はすっかりキョトンとしてしまい、私と法子を見て、それから再び静枝を見た。
「だって尊通さんたら、何かっていうと、『行子ちゃんを見習って、もっとおしとやかになれ』って言うの。だから今日は、そのことも手伝って、貴女をいじめちゃったのよね」
行子はカーッと真っ赤になってしまった。
「う、嘘....」
「嘘じゃないわよ。彼の理想のタイプって、行子みたいな子らしいわよ」
「......」
静枝の言葉は、行子を気絶させるのではないかというくらい、衝撃的だった。
「さっ、もう行きましょ。お昼の時間よ」
静枝は呆然としている行子の手を引いて立ち上がり、ドアに近づいた。私と法子は、思わず顔を見合わせた。
私達がダイニングルームに入って行くと、そこには大きな長いテーブルがあり、奥の方から藤堂さん、皇さん、武さん、そしてその反対側の奥から裕子先輩、須美恵先輩、華子先輩、美砂江が座っていた。静枝は武さんの隣に座り、行子はその隣に恥ずかしそうに座った。私は美砂江の隣に座り、法子は私の隣に座った。私はさっきの話を思い出し、藤堂さんと目が合った時、顔が火照るのを感じた。
「さっきは失礼。僕も大人げない行動をしてしまったみたいだ。中津さん、悪く思わないでね」
と藤堂さんが言うと、法子はニコッとして、
「いえ、別に。私の方こそ、ごめんなさいと謝らなければならないのに、藤堂さんに先に謝られてしまって...」
と応えた。藤堂さんもニッコリしてから、
「さァ、この旅行で最初の会食だから、楽しくいただこうね」
と一同を見渡した。
「はーい」
私と法子、それに他の何人かが返事をしたが、武さんと皇さんは口を動かすのも面倒だという感じで、何も言わなかった。
そんな雰囲気だったから、食事中は食器の音とかコーヒーを注ぐ音、給仕のおばさん達がパタパタ歩き回る音ばかりが聞こえるほど、皆口をきこうとしなかった。
「何よ、まるでお通夜みたいじゃないの。もう少し楽しく食事しましょうよ」
とこういう妙な静けさに耐えられないのか、須美恵先輩が口を開いた。すると武さんが、目の前の食器を重ねながら、
「そうだな。みんな、何か喋れよ」
と同意した。華子先輩が藤堂さんを見て、
「そう言えば、これからの予定はどうなっているんですか? 」
と尋ねた。藤堂さんは華子先輩に目をやり、
「特別にどこへ行くとかは決めていないよ。希望があれば言ってもらいたいのだけれど。ただし、予算の許す範囲でだけどね」
とさわやかな笑顔で答えた。華子先輩は実に嬉しそうな顔をして、
「私、榛名富士に登ってみたいな。ロープウェイがあるんでしょ。それに山頂からの景色もきれいだって言うし」
と提案した。しかし武さんが、
「それなら歩いて登るのをお勧めするよ。その方が山頂に着いた時の感動も一入だろうからね」
と皮肉を言った。華子先輩はそれを無視して、
「ねェ、藤堂さん、予定に入れて下さい。ロープウェイのお金なんて、大した額じゃないでしょ?
」
「わかった。そうしよう。他にどこか行きたいところはあるかな? 」
藤堂さんは再び一同を見た。すると美砂江が、
「私、伊香保に行ってみたいな。来る時は高崎から回り込んで来たから、通らなかったでしょ。あそこ、露天風呂があるのよね」
と嬉しそうに言った。こいつ、温泉好きなのかな?
「はいはい。じゃあ、伊香保にも行ってみようか」
「私は、榛名神社に行ってみたいわ。1400年も前に創建されたそうよ。それに、本殿が岩にはめ込むように造られていて、とても神秘的らしいわ」
と裕子先輩が発言した。皇さんが頷いて、
「そうだね。君はどう、草薙さん? 」
と尋ねた。静枝は意表を突かれたように皇さんを見て、
「ええ、そうですね。榛名神社もいいですけど、私、馬車に乗ってみたいです」
「そうか。馬車もいいな」
皇さんは感心したように頷いた。やはり彼は静枝に気があるようだ。すると早速須美恵先輩が、
「皇さん、自転車を借りて、湖を一周するっていうのもいいですよ。馬車なんか、馬のフンで臭いだけですから」
と口をはさんだ。静枝は別に須美恵先輩と争うつもりがないので、
「そうですね。二人乗りの自転車もあるみたいだし。その方が楽しいですね」
と同意してみせた。しかし、須美恵先輩は、それには応えなかった。そこへ武さんが、
「俺は水沢まで下って、うどんを食べたいな。水沢寺にお参りして、鐘も突いてみたいし」
と年寄りじみた喋り方で言った。静枝が呆れたように、
「今昼食を食べたばかりなのに、まだ何か食べるつもりなの? 」
「すぐに食べるんじゃないよ。小腹のすく、3時か4時頃さ。軽く、スルスルッとうどんを食べるんだ。水沢うどんはうまいんだぜ。知らないのか?
」
武さんは陽気に応えた。しかし、静枝はもう相手にはしていない。
「とにかく、少し休んだら、外に出よう。すぐに出発できるように、親戚の叔父に連絡しとくから」
と藤堂さんは立ち上がった。すると武さんがすかさず、
「一体どこへ行く気ですか、藤堂さん? 俺はシンキ臭い神社には行く気はないし、馬フンまみれの馬車に乗るつもりもない。かと言って、露天風呂に入るほど、ジジイを決め込みたくない」
とチャチャを入れた。皇さんがムッとして武さんを睨み、
「じゃあ、お前は一人でうどんでも何でも食べに行けばいいだろう!! いつもそうだな。お前はそうやって他人の提案をけなすだけけなすんだ」
と声を荒げた。武さんは全く動じていない。皇さんはなおも、
「いくらヴァン・ダインのファンだからって、何もファイロ・ヴァンスのマネをして、高慢ちきな態度をとることはないだろう」
「そんなに熱くなるなよ、皇。バッカじゃないの」
武さんのその一言が、皇さんの理性のタガをブチ切ってしまった。
「このヤロウ!! 」
皇さんは武さんのTシャツを掴み、殴りかかった。
「やめろ、二人共! 」
藤堂さんが間に入るのがあと少し遅かったら、皇さんの拳が武さんを捉えていたはずだ。
「争いごとは起こさないでくれ。何か問題を起こせば、ここは二度と使えなくなるんだぞ」
藤堂さんは武さんと皇さんを叱りつけるように大声で言った。武さんはフンと笑って、
「じゃ、俺は午後は部屋でフテ寝してますので。皆様方は、どこへなりとお出かけ下さいな」
と言い捨てると、ダイニングルームを出て行ってしまった。静枝が立ち上がって、
「待って、尊通さん! 」
と追いかけようとすると、
「放っておきなよ、草薙さん。あんな奴、いない方がいいんだ」
と皇さんが言った。静枝はその言葉に立ち止まり、皇さんをチラッと見たが、再び歩き出し、ダイニングルームを出て行った。
「皇さん、あの二人は放っておきましょうよ」
と須美恵先輩が甘えたような声で言った。皇さんは彼女を見て、
「そ、そうだね」
と応え、椅子に座った。藤堂さんは腕組みをして、
「とにかく、武の奴、ちょっと調子に乗り過ぎだな。まァ、自分から行動を共にするのを辞退してくれたのだから、奴のことは草薙さんに任せて、僕達だけで出かけよう」
と発言した。すると、皇さんと行子は複雑な表情をし、須美恵先輩はにこやかに頷いた。