<第一楽章
>
日曜日。
ひとりぼっちの部屋から外をのぞくと、雨のしずく玉に菜の花の緑が写っています。
「ケロック、水玉、ケロック、水玉さん。この世で一番さびしいのは、だーれ?」
「ケロック、サチル、それはサチルだ、君だ。」
ひとりぼっちの部屋から見あげると、雨の舗道に遠くの町の電飾がすっかり着かざった女王様カエルです。
「ケロック、しずく、ケロック、しずくさん。この世で一番かわいいのは、だーれ?」
「ケロック、サチル、それはサチルだ、君だ。」
外には雨がふってるし、どこへ行くあてもないサチルは、ほんとうにひとりぼっちでした。
サチル、それは小さなカエルの娘の名前です。サチルは今から半年ほど前のこと、故郷の大きな花畑で遊んでいるとき間違って花束と一緒に箱に入れられたかと思うと、そのまま貨物列車でこの街に運ばれてきてしまったのでした。そして、どうにかサチルが住みついたのは街はずれを流れる川岸の草むらの中でした。
恋人もなく、ふる里は遠く、サチルは時々、この草むらの小さな部屋の中で泣きました。
そして今日のような雨の日曜日、サチルはぼんやり考えてしまうのでした。
雨の日を、カエルたちはみんなは大好きだ。わたしと遊んでくれる友達も何人かはいる、でも、わたしはおしゃべりが下手な娘だから・・・雨の日にはそれもおっくうだから・・・なんだかこわい。
おしゃべりがうまくなくても、私を笑わせてくれる恋人が欲しい。黙っていてもわたしの心をやさしく包んでくれるような男の子がいたら・・・いいな。
サチルは頭の上にぶらさがる雨のしずくに写ったもう一人の自分に向かって、もう何時間もこんなひとりごとをつぶやき続けていたのです。水滴の中に映ったもうひとりのサチルは、もうとっくに涙の川を泳いでいました。
その夜のことです。
サチルの部屋のドアに取りつけた鈴蘭チャイムが鳴りました。誰だろう、こんな時間に。
故郷の母親からの芋の葉便りは今日の昼間届きました。そこにはこんなことが書いてありました。
ーサチル、みんなが心配しましたよ、おまえひとりがそんな遠くに行ってしまって。クルールル。でも、おまえが街で頑張ってみると便りをくれたので、今はすこしみんな安心です。では、からだだけは大切にね。お前の母親より。毎日祈っています、クルルー、ク・ル・ル。
さて、白樺新聞の集金カエルは昨日来たはず。 その時、もう一度、チャイムが鳴りました。
「きっと、お隣のグロッケおばさんが留守なんだわ。わたしは預かり物係ね。」
サチルは扉を開きました。ところが、どうでしょう、そこには誰の姿もみうけられませんでした。そのかわりに、等身大の鏡がひとつ置き忘れられたように立てかけられているではありませんか。
「月・・・。」
雨はすっかりあがっていました。 遠くの森の上で、黄色いお月様が光の波を銀色の星のまたたきの中で泡立てています。その月が鏡の中に今、映っているのでした。サチルは不思議に思いながらも、鏡を部屋の中にいれました。
<第二楽章 >
同じ日の昼間のことです。
サチルの部屋から見える川べりの鏡工場から一枚の鏡がなくなっていました。盗んだのは、あの黄色いお月様でした、なんていっても誰も信じないでしょう。
そんなことですから工場主任のゲルドは工場で働くカエルたちの名簿を取り寄せると、やがて一匹のカエルを呼べと命じました。美しい少年のカエルが連れてこられ、ゲルド主任の前に座らされました。アキレックという名の男の子のカエルです。鏡が何者かに盗まれた時、その鏡の一番近くにいたのが若者アキレックだったのです。ところがこの子は耳が聞こえないので、言葉がうまくしゃべれませんでした。そこで主任はタルットというカエルに命じて手話でアキレックスの通
訳をさせることにしました。
「なあ、アキレック君、今日、鏡が何者かによって運びだされたのを知っているな。グゲゲッゲ、グゲ」
主任はおどす調子で言いました。そこですかっりおびえてしまった通訳のタルットはもうたいそうなふりをして指を動かしました。するとアキレックは素直に首を縦にふりました。
「ケール、よしよし、タルット君、その調子だ、君の手話は立派に役にたっている。さて、そこでだが、知っているのだな、アキレック君。君はやはりその鏡を盗んだ犯人を知っているのだな。グウゲ」
今度もまた、タルットは必死で主任ゲルドの言葉を若者に伝えるのでした。するとアキレックは少し強く首を縦にふりました。
「ケール、その調子だ、うまいぞ、君はまったくなんて正直で、良い子だ。そこでだが、いまここでそんなことが上の者に知れたら、私の立場はどうなると思うかね、アキッレク君。きっと私は首かもしれないねー。そんなことになったらかわいそうだとは思わないか。小さい子どもや妻を抱えた私はどうやって暮らしていったらいいのだろう。ああ、なあ、タルット君、実にどうも・・・グゲゲッゲ、ググッグ」
ゲルドのこの言葉は大変でした。そこでタルットはもう必死に泣き出しそうな顔になって指を動かしました。するとアキレックは今度は首を横にふりました。
「そうか、そんなことは出来ないと同情してくれるのだね、アキレック君。ゲーゲ、そこでだ、私は私の変わりに誰かを首にしなければならないが、その前に君に一週間やるからあの鏡をりっぱに捜し出してこい。さもなければあの鏡はお前が割ってしまったか、あるいはお前が犯人なのだと私は報告しなければなるまい。ああ、なんて、君はやさしい者なのだ。グワーゲ」
これを聞くと通訳のタルットの額からはもう汗がいっぱいに流れました。するとアキレックの顔はすっかり真っ青になりました。それからアキレックは今度は激しく首を縦にふって頷くのでした。それを見るや、
「ああ、なんて、お前はものわかりのいい者なのだ。さあ、お前など、すぐにもここから出て行って鏡を持ってこい!この泥棒め。」
主任のゲルドはこう叫びました。
こうしてアキレックは工場の裏門からその日のうちに放り出されてしまったのです。身におぼえのないことを言われてしまったアキレックはすっかり悲しくなってしまい鳴きました。でも、泣き声すら喉の奥でみにくい風の音しかたてませんでした。アキレック考えました。
「鏡を盗んだ者を知っているかと主任さんに聞かれたから、僕はそんなことは知らないとあんなに首を縦にふったのだ。主任さんが困ってしまうと言われるから、ぼくもそう思ってあんなに首を横にふったのだ。それなのにどうしてこんなひどい目に僕はあうのだろう。クルルー。」
アキレックはみなし児でした。そこで実は小さい頃、アキレックはいたずら好きな、意地悪なカエルたちから「ハイ」という返事のときは首を横に、「イイエ」という返事をする時には首を縦にふるのだということをすっかりおぼえさせられてしまっていたのです。その者たちはアキレックに言ったものです。
「そういう返答こそが、お前のように声のでないカエルがもうほんとうにりっぱに生きてゆけるこつなんだぜ。」
ああ、この忠告を素直に聞いたためにどんなに後になってアキレックは皆からいじめられたり馬鹿にされたり誤解されたりしてきたでしょうか。でもだれもアキレックのこの癖には気づこうとはしませんでしたから、ことさら彼に注意してくれるカエルたちもいませんでした。ただ、その者たちはアキレックのことを噂したものです。
「あいつはもっと素直になればいいのに。人の言うことに反対ばかりしているように首を振る。」
皆、心でそう思うばかりでした。そこでアキレックもまた、自分がひどい目にあうのもその幼い日におぼえてしまった返答のせいだとは気づきませんでした。
「違う、違う、ぼくは鏡を盗んだりはしてないんだ。」
今もまたアキレックは心の中でこう叫ぶと激しく首を縦にふりました。そして街の方にパテタン、パテタンと歩いて行きました。
<第三楽章>
さて、この日の夜、あの娘のカエル、サチルの姿が草むらの部屋から消えてしまいました。鏡を部屋に入れて、あれこれ考えながらそこに映った等身大の自分を見ていると、あの黄色いお月様の光がサーと部屋の中に訪ねてきました。すると、スーとそのまま鏡の中にサチルは吸い込まれてしまったのでした。
ほら、これも黄色いお月様の仕業なんです。なんていっても誰も信じないでしょう。
たまたま河辺べりを歩いていた魔術師の映画監督が、草むらの中からこの鏡を見つけました。魔術師が鏡の中をのぞくと、なんだかその奥のほうに緑色した飴玉
のようなものがニョキリと立っているのが見えます。それはなんだかこちらに対しては後ろ向きのような気がするのですが、よくみれば目玉
のようなものが二つ上の方にあって、それがこちらを見て輝いています。
「どうも変だ。私の目が映っているのかな。」
映画監督の魔術師には、それがあのサチルだなどということはすっかり知りません。
「なんだか面白いぞ。この鏡には何かがいるような気がする。いつかレンズにしてみよう。後ろから光を当てれば何かの影が光とともに浮かぶかもしれない。私は映像の鬼才なのだ、私の映画は本物なのである、しかし今、これはまぎれもなく薄っぺらな鏡にちがいない。」
魔術師はこんなことを考えると、鏡をもって街の映画館に行きました。
「ケーサ、私は面白いものを拾ってきたぞ。」
魔術師は、映画館の館長ケーサに告げました。
「ところで君にはこの鏡が、いったい何だかわかるかね。ケーサ?」
魔術師にこう言われて、館長は腕組みをして考えてみましたが、どうみても鏡は普通
の鏡です。
「先生、私にはすっかりわかりませんが。」
「ケハール、やはりね。君、そのわからないというところが、実になんとも不思議なものではないかね。ケーセラ、実にどうも、ネエ、ケーサ君。」
「ケ、ケハ、どうもおそれいります。」
「ケール、ケール、そこでだ、私の映画が上映されている間、ひとつこの鏡をあそこに飾っておいてくれないかな。きっとこれはおもしろい見せ物になるにちがいない。皆立ち止まるだろうからな、ケール?」
こうして、鏡は映画館の広告塔にはめ込まれてしまったのです。
朝。
サチルは鏡の中から、さまざまな動物が自分の前を通り過ぎて行くのを眺めることになりました。あの魔術師が話していたように、ほんとうにたくさんの者が、この鏡のほうを見て通
り過ぎるのでした。
「あ、あれは近所のタルットさんだ。タルットさん、おはよう。」
サチルは自分の前を行く、一匹のカエルを見かけると大きな声であいさつをしました。そうです、そのカエルこそあの鏡工場につとめ、あの主任の言葉を手話でアルレッキに話したタルットでした。タルットにはサチルの声が聞こえなかったのか、そのまま行き過ぎようとしましたが、やはりタルットはチラッと鏡を見たのです。するとサチルの耳に何もしゃべっていないタルットさんの声が聞こえてきたのです。
「ケ、ケ、ケハ・・・私はなんと弱虫なのだ、この私は。私はあのアキッレク少年に謝らねばならない。あのなくなった鏡を盗んだのはけっしてあの少年ではないのだということを私は知っている。私は言ってやる、きっとその事をいってやる。ゲルド主任は間違ったのです・・・と。」
それからタルットは怒ったように鏡の前に立ちました。するとなにもしゃべっていないタルットの声がまたサチルには聞こえました。
「ケード、ダメだ、ダメだ。そんなこととても出来やしない、第一そんなことを思っても、あの主任の前に出たら私なんか、からっきし弱虫なのだ。だが、私は、だからこそ、真面
目で平和者として長く鏡工場に勤めていることが出来るのだ。ケホ、ケホ、ケホ・・」
タルットは何だかしょんぼり肩を落としてトボトン、トボトン駅の方に歩いていってしまいました。
「タルットさんには私の声が聞こえなかったのね。みんなにはここにいる私の姿も見えないのかしら」
サチルがそんなことを考えていると、今度はサチルと同じ年頃の若い娘のカエルが鏡の前を通
りかかりました。娘はこれから勤めにでも行くのでしょうか、さっぱりしたスタイルで歩いてきましたが、鏡を見ると、すばやく自分の頭にのせたベレー帽を直しました。その時サチルの耳に、
「ケアー、キキ、なんて私ってきれいなんでしょう。」
何もしゃべっていない娘の声が聞こえました。すると続いて、
「鏡って、なんでも逆さまに写るんだぞ。」という声がしました。
それは娘の後ろにいつのまにか立っている、子犬をつれたカエルの子供の声でした。娘は急に怒った顔になり、プリプリしながら行ってしまいました。
「だって、本当だよ。プレット、鳴いてごらん。ONE、ONEって。」
プレットと呼ばれた犬は鏡に向かって吠えました。
「EーNO、EーNO」
サチルはこの出来事にもうすっかり楽しくなってしまいケルケル笑ってしまいました。その時、見るからに人の良さそうな中年のカエルさんがサチルの鏡の方に近づいてきました。鏡に写
ったその姿を見ると、突然、犬のプレットがそのカエルに向かってけたたましく吠えかかりました。子供のカエルはビックリして駆け出していってしまいました。
「コッ、コッ、こら、何で逃げやがる。」
中年のカエルは乱暴に言いました。それからサチルの鏡を見ると、ハッしたようになりました。
「コーン、コワア、これでは俺が盗人だと子供にもばれてしまう、なんて下手な変装なんだ。」
サチルにはそうつぶやくカエルの声が聞こえたのです。
昼。
ひとりの乞食のカエルがサチルの鏡の前に立ちました。カエルは鏡を見ると泥だらけの手を黙って鏡に向かってさしだしました。その時、サチルに聞こえてきた言葉です。
「手を出したって、俺はお前にあげられるものなんか何も持っちゃいないぜ、アーメメン。なあ、仲間よ。お前はもっと真面
目に働くべきだ。あの鏡工場にもう一度勤めたらどうだろう。メメン、メイ。」
乞食のカエルがさったその後に豪華なかぼちゃ作りの自動車がサチルの前に止まりました。中には大きな眼鏡をかけ、立派な髭をたくわえた大臣カエルが座っていましたがサチルの鏡を見ると、松茸葉巻をプーと吐き出しました。
その時、サチルに聞こえてきた言葉です。
「気に食わぬ。あそこにこの俺様とよく似た奴が映っている。わしのような者は二人は邪魔である。」
こうして何匹ものカエルたちがサチルの前を通って行きましたが、鏡をみんなが見る度に、何もしゃべっていないカエルたちの声がサチルには聞こえたのです。サチルは最初のうちはみんなが自分の方を見てくれるのが楽しかったのですが、その話声を聞いているとすこし疲れてしまいました。
夜。
一匹の痩せた詩人のカエルが通りました。サチルが聞いた詩人の声です。
「雨がこの町を水槽にしても何も唄わないことだ。雪がドレスとなってこの街に降っても何も唄わないことだ。百合の花が香水を蒔いたって何も唄わないことだ。枯れ葉が黄金に化けても何も唄わないことだ。それが一番いいのだ。私の心の中にはそうしたものにまばたきを送る星が輝いている。だがどうやったてみんなにこの星を見せることは出来ないのだ。サー、サーフォー。気がまったく変になってしまう。私は明日からもこうして鏡に向かってダイヤモンドの嘘をつくだろう。まったく、なんてことだ。」
そんな詩人のそばを一人の老婆カエルが通り過ぎました。
「おじいさん、こうして鏡を見ていると、あなたがまだ生きていた頃の昔が浮かんできますよ。」
老婆の優しい声が最後でした。
<第四楽章>
町には人影もたえ、風が若い枯れ葉にたちました。
サチルは今日一日に起きた様々なカエルたちの声をおもいだしてみました。そしてなんだか自分の部屋にいるときのようにあたりが静かで、今はもっと寂しいものに感じました。
その時、サチルは街角の暗闇の方から、ひとりの少年のカエルが歩いてくるのを見ました。工場を追われたあの若者アキレックです。アキレックは鏡を見ると、パアと顔を輝かせてサチルの方に走ってきました。
「さあ、あなたは何を言いたいの。何でも聞いてあげるわ。口を開かなくても、私にはあなたの言葉が聞けるのよ。」
サチルは少しイライラしながら問いかけました。すると鏡の前に立ったアキレックは、突然、大きく口を開けて何事かを叫んだのでした。
ところがどうでしょう。
「え?何て言ったの。聞こえないわ。」
今まではサチルの前に立ったカエルたちはサチルに向かって何もしゃべらないのに、サチルにはそのカエルたちの声がはっきりと聞こえたのです。それなのに、
「こんなに必死で叫んでる人の声が聞こえないなんて何故なの。何故なの。」
サチルはなんだか悲しくなって思いました。そこで、
「ねえ、何て言ったの、あなたは何を言いたいの!」
サチルは鏡の中からこうアキレックにむかって呼びかけました。その声が耳の悪いアキレックに聞こえるはずなど勿論ありません。
その時です。
ビルの上にのぼったお月様は黄色です。楓の葉影からサッと、その光が鏡にさしました。二匹のカエルは、一緒にそのお月様を見上げました。お月様には何が写
っていたでしょうか。鏡のように輝くお月様には、お月様のように輝く鏡が写
っていたのです。
アキレックは今度はお月様に写った鏡に向かって叫びました。サチルもつづけて叫びました。
すると、お月様に写った鏡の中から、黄色い光となってアキレックの言葉がサチルの耳に届いたのでした。
「ぼくは、アキレック。ずーと君を探していたんだ!やっと君を見つけたよ!」
すると、お月様に写った鏡の中から、黄色い光となってサチルの言葉がアキレックの耳に届いたのです。
「わたしは、サチル。ずーとあなたをまっていたのよ!あなたが探してくれるのをずーとここでまっていたのよ。」
その瞬間、鏡が大きな音をたたて砕け散りました。その瞬間、お月様はカタンと鳴って、ビルの向こうに消えました。
残された暗闇の中で、二匹の若いカエルはいつまでもいつまでもお互いの姿をうっとりと見つめあっておりました。
END
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