良くある古墳名の由来


地元での古墳の呼称とされるものは、古墳築造時の事情と関係あるものはあまり無く、それよりも、近世か中世ぐらいの時代の人々がそれらをどのように見ていたか、あるいは、古墳をどのように「利用」していたか、ということが反映されている場合が多い、と私は感じています。
ここでは、良くある古墳の名称について、どうしてそのように呼ばれるのかを考えた結果を書きます。


(1)形状による名前


二子・双子

「ふたごやま」、「ふたごづか」、「XXふたご」、「ふたつやま(づか)」といった名称の古墳がしばしばあります。
古墳は、放置されると、風雨で侵食されたり、草木が繁茂して腐葉土が積もったりしますが、そのような状態では、前方後円墳でも、同じような形の「山」が2つ連なっているように見えることがあります。
このような名称を付けたくなる古墳は、前方後円墳の中で、前方部が後円部と同じぐらいの高さの、比較的新しい時代のものであることが多いと思います。
但し、(前方後円墳に限らず)似たような形状の(独立した)2基の塚が並んでいる場合に、このような名が付く例もあるようです。

銚子・朝子

「銚子塚」・「朝子塚」など、表記はいろいろですが、要するに酒を注ぐ道具の「ちょうし」です。
但し、(現在では婚礼などで見かけるような)長い柄のついたもののことであるようです。
前方部が低くて長い形の前方後円墳に付けられることがある名前です。

茶臼

「茶臼山」という名称の古墳は、円墳のこともあれば、前方後円墳や帆立貝形墳のこともあります。
茶臼とは茶葉を挽くための石臼のことで、典型的な形は次の写真のようなものです。

茶臼
(この写真は、ある茶道具店の店頭に飾ってあったものを許可を得て撮影させていただいたものです。)

古墳に良くある、多段で頂が平らである形状が、茶臼を連想させたのでしょうか?



前方後円墳の形状のうち、前方部が細長く、しかもあまり前辺が開かないものを称して「柄鏡形」と呼ぶ場合がありますが、古墳名のうちで「鏡」が含まれるものの中には、同じ連想から付けられたものが多いと思います。
(但し、鏡の形態として「柄鏡」が一般的になるのはかなり後の時代ですから、古代からそのような名前がついていたわけではないでしょう。)


(2)所在地にちなむ名前


古墳または古墳群が、所在地の字・大字などの地名や、寺社の境内にある場合にその寺社の名や、古墳(群)がある丘陵の名で呼ばれることがあります。特に、学術的な報告書で初めて命名された場合には、「地名+番号」という形の名にすることがごく普通に行われます。
一方、「XX塚」「塚原」などのように、古墳または古墳群があるためにつけられたと思われる地名もかなりあります。


(3)神仏などにちなむ名前


稲荷(「いなり」、または「(お)とうか」)、金毘羅(「こんぴら」または「ことひら」、書き方もさまざま)、天神、観音、薬師、大日、不動等、神仏の名がついている古墳があります。
寺社や祠のようなものが墳丘上に造られていたり、石室内に神仏像が安置されていたりすると、このような名称になることが多いのですが、現在そのようなものが失われ、名のみ残っている場合もあります。


(4)山岳信仰に関連する名前


古墳の墳丘を、信仰の対象になっているような山に見立てて、それが古墳の名称になっている場合があります。
そのような山を神格化した神を祭った神社の社殿が墳丘上に建てられていることが多いので、(3)と区別しにくい場合もありますが、墳丘そのものに意味が与えられていると考えられるのが異なる点です。
群馬県内の古墳で良くみかけるのは、富士山・浅間山(富士浅間神社)、愛宕山(愛宕神社)、白山(白山神社)、赤城山(赤城神社)などです。


(5)被葬者にちなむ名前


現在では、近畿地方のものも含めて、よほど確実な証拠でも無い限り、古墳の名称としては、なるべく「XX陵」「XXの墓」などというような被葬者の名前は用いないようにすることが多くなっていますが、群馬県などの東国においては、(有名な人物の墓という伝承がある古墳はありますが、)被葬者の名前で呼ばれる古墳は、以前からあまり多くありません。
その代わり、良くあるのが、「将軍塚」という名称です。(群馬県にもありますが、特に長野県には多くの「将軍塚」という名の前方後円墳があります。)
これは、その地を治めるために派遣された将軍の墓、という意味でしょうが、古くからの伝承というよりは、近世になってから国学者が想定した場合が多いらしいです。


(6)伝説にちなむ名前


何らかの伝説があり、それにちなむ名が付けられている古墳がありますが、多くは古墳時代からかなり隔たった後世に始まる伝説のようです。
次の(7)に示すような、「古墳が何かに利用された」ことが、「その目的で塚が作られた」に変容した場合もあるようです。


(7)後世に何かに利用されたことにちなむ名前


以下のような塚は、本来古墳とは異なるものですが、古墳が後世にそのような塚として利用された場合、古墳にこれらの名がついていることがあります。

行人塚

「行人塚」とは、本来は自発的な捨身行として「入定」が行われた塚のことですが、広い意味では修行者が埋葬されている塚(没後の埋葬も含む)や、修行の場として使われた塚のこと[1]です。
修行者の名がついている場合もあります。

首塚

「首塚」とは、戦死者などの(しばしば、多数の)頭骨を供養するための塚です。

胞衣塚

「胞衣塚」とは、出産後の胞衣を埋める塚です。


(8)出土品にちなむ名前


あまり数が多いとは言えませんが、「金冠」のような、目立つ出土品にちなむ名がついているものがあります。



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文献

[1]近世行人塚の研究