Section 17 : HTML は世界を変えたか

 本稿がはじめて WWW で公開されたのは 1999 年の初頭である。2000 年末の改訂で省みると,WWW をめぐる環境,それから HTML をめぐる環境は,“インターネットの進歩は速い”の言葉に違わず大きく変化している。2 年の間に変わったことを,俯瞰させていただきたい。

ブラウザからみた HTML の側面

 HTML が,HTML 2.0 より SGML のアプリケーションと定義されて,さまざまな紆余曲折を経て,HTML 4.0 が,“今までの‘悪習’を清算するべく”登場した。しかしそれでも,WWW という場で,そこにアクセスするブラウザの単一化が進むにつれて,そのプラットフォームで閲覧されることをほぼ前提とした,“ページデザイン言語としての HTML”が出現したことは,それがどう評価されるものであれ,事実である。HTML は,そこでは表現言語の側面を呈している。“Web デザイン”という領域が生まれ,文書記述でなく“半熟”な,(半ばコンティニュアスな)ページレイアウト言語として,さまざまな“技法”が編み出され,Web ページを作成するソフトウェアは,おしなべて“Web デザイン”のツールとしての色を帯びてきた。そして,それが複雑化するにつれ,“Web デザイン”のプロフェッショナルが現れるのは,道理である。

 かくして現在は,HTML には,文書を記述するマークアップ言語の側面があり,“Web デザイン”言語の側面がある。本チュートリアルでは,(本来企図された)前者の“側面”から,HTML,および,それをデザインするためのスタイルシート言語のひとつ,CSS を扱った。

 筆者は,ここで過激な言葉をもっていずれかを強く擁護したり,批判したりと言うことはしたくない。いずれも,少なくとも認めざるを得ない,現実世界での HTML の側面なのである。

HTML というインタフェース

 WWW の中で,静的なインタラクティビティを提供する CGI は,多くはそのインタフェースとして HTML のフォームを用いているということはご存じのとおりである。そして,そのインタフェースは,インターネットの地位の向上に伴って,ある種の標準的なユーザインタフェースとなりつつある。

 HTML(広くは,WWW そのものも含めて)というインタフェースは,インターネットの商業利用では,その対話的処理を行うのに欠かせない。また,組織のネットワークがイントラネットという形で実現されて,そこでのアプリケーションは(グループウェアなどのサーバ・クライアント式のものを中心に),インターネットとのシームレスネスを感じさせる“ブラウザ”との対話によって,すなわち,特別のクライアントソフトウェアを使うのではなく,WWW を閲覧する“慣れた”インタフェースで,実装されるものも多くなった。

 これはすなわち,ハイパーリンクの概念,入力を受け付けるフォームというフィーチャーを備えた HTML が,インターネットのアプリケーションでなく,インフラとしての側面を持ち始めたということであり,それは,WWW が,その上に展開される何か別のレイヤに属するアプリケーションによって牽引される時代が到来していることを示唆している。

 HTML は身軽であった。UA はコンピュータ上のブラウザか,ロボットかという時代ではもうなくなった。携帯電話および携帯端末の普及と進歩が,そこからの WWW の閲覧を可能にしたことを知らない人はいらっしゃるまい。Web サイトが小さな画面にそれなりに展開されて,その“小さな画面”に最適化した HTML というのも,もう黎明期の Web サイト全体数くらいの数に上るだろう。これによって,携帯電話・携帯端末はインターネットのキラーアプリケーションを手に入れ,その上でのキラーアプリケーションの出現を待っている。

アクセシビリティの意識

 1999 年に,W3C は WAI のアクセシビリティガイドラインを発表している。そこには,Web サイトを,多くのユーザに対して(多くの環境に対して,また,からだの不自由な人にも)アクセシブルなものにするための記述方法などが書かれている。

 しかし,WWW には次々と新技術が投入されている。これらを受け容れていくことが WWW の発展につながっていく。だが,それにキャッチアップしたサイト構築は,皮肉にもアクセシビリティをないがしろにするかのようになってしまう。かといって,枠からのブレイクスルーがなくては,WWW は発展していかないし,そうして発展していくことが,あるいは WWW に運命付けられているといえる。

 これは,困難だが克服しなければならない問題であろう。

HTML と飛翔する!

 しかし一方で,“Web デザイン”の台頭,Web ページ作成ソフトの高性能化と普及にあいまって,HTML,しかも“大きくなってしまった”HTML それ自身を知り,それとそれを囲む技術にキャッチアップしていくことへの困難さに対する疑念もないわけではない。

 だが,それは“知らずに済ます”ことを可能とするが,“知っておく”ことの意義も変わりつつあるということを考えさせずにはいられない。ふだん,もはや何気なく閲覧する WWW のページが,ブラックボックスに包まれたものではなく,ある種のデータ構造によって記述されていることを知ることは,知見として有為であるし,その基本を,WWW におけるひとつのツールの使いこなしと理解のために知ることの重要性は,以前と変わりないことを信じたい。また,なによりも,HTML という情報技術の落とし子が,“情報”というものの記述の方法のひとつの実現例であり,そこに流れる考え方を通してわたしたちが学ぶことができることも多々あるはずである。

 HTML をどのように知り,どのように活用し,付き合っていくかは個々の目的と姿勢による,というのは,ほかの何にも異なるものではない。ただ,筆者は,HTML と付き合う中で,何かを得,それでもって情報の大海原へと飛翔されることを,読者の皆さんに願っている。