Synth Fantasy
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トミタ・サウンドクラウドについて

〜立体音響へのこだわりから、トミタ・サウンドクラウドへの発展まで〜


序: 立体音響へのこだわりは・・・

 冨田氏の立体音響に対する思い入れは、幼少の頃の不思議な音の想い出が影響しています。それは冨田氏がまだ中国にいた7歳の頃、医師であった父親が休みの時には、よく北京近郊に連れて行ってくれたそうです。その中の一つにお城の廃墟(※幼い記憶だが、天壇公園の「回音壁」と思われる)がありました。そこでは、音がとてもおもしろく聞こえたそうです。湾曲した塀が互い違いに向かい合ってチェーンのように並んでいるのです。姿は見えないのですが、父親がどこかで喋っている声が、勲少年のすぐ耳元で聞こえるのです。父親が近づいてきても、遠ざかっていっても、その声はまったく耳元で聞こえているのです。また、自分が動いて、向かい合った反対側の塀に近づくと、今度はそちらの塀から声が聞こえてきます。両側の塀のちょうど中間あたりでは、なにか宙に浮いたような音に聞こえますが、この位置では空を飛ぶ鳥の声なども不思議な反響をしました。「それは昔、お城の番人が一カ所にいれば、入ってきた賊とか謀反を起こそうとしてどこかでヒソヒソ話をしているのが、みんなそこで聞き取れるために、こういうものを工夫して造ったのだ」と、冨田氏の父親から言われたそうです。その他、天壇公園など音が音響的に不思議に聞こえるところが、中国には結構あったような記憶があるそうです。音楽を聞く以前のそのような体験が、その後の冨田氏に大きな影響を及ぼしたと言うことです。
 FM放送が本格的にはまだ開始されていない1953年には、NHKラジオの第一放送と第二放送を同時に使用した立体音楽堂等の番組に参加し、ステレオに興味を持ち、作曲、編曲、オーケストラの指揮などをすでに担当していました。その後、1970年の大阪万国博覧会では「東芝IHI館」でマルチスクリーンと12チャンネル・ステレオによる立体音響を手がけています。
 このように、冨田氏は古くから立体音響、音宇宙(音場)に対してのこだわりを持ち続けていたということがわかります。



4チャンネル全盛時代とその後・・・


 1974年には、いち早く4チャンネル・ステレオのドビュッシーの作品集「月の光」を世界に向けて発売することになります。冨田氏はこのアルバムの「音場を聴いてもらいたかった」と語っていました。その後「宇宙幻想」を過ぎる頃には、その4チャンネル・ステレオのレコード自体の人気が、だんだん下り坂となり、遂にはポシャッたも同然となり仕方なくその後は2チャンネル・ステレオで出さざるをえなくなりましたが、冨田氏は非常に残念であると考えていました。4チャンネル・ステレオ全盛の頃は"大迫力のサウンド"とか"広大なサウンド"などと言った宣伝をしていましたが、広いホールで大音響で音を出すだけではなく、小さな空間で適量の音で聴いても効果があり、冨田氏は特にピアニシモの効果が気に入っていたそうです。


5チャンネル・ピラミッド・サウンド

 1979年11月19日、世界初のトミタ立体サウンド・ライブ『エレクトロオペラ・イン武道館』が開催されました。当時はまだ名付けられていませんが、これが記念すべきトミタ・サウンドクラウドの原点と言えます。小松左京氏のプロデュース、ティエリー・ミュグレーの宇宙的ファッション・ショー、ウィリアム・エトラらのコンピュータ・アニメーション、そして、「ピラミッド・サウンド」システム(※)による立体音響など、当時のイベントの概念を覆す画期的なイベントとなりました。冨田氏はこれをきっかけとして、その後「サウンドクラウド(音の雲)」の壮大なイベントをリンツをはじめ各地で催されることとなります。(※冨田氏が名付けたサラウンド・システムで、前後左右+天井(シーリング)チャンネルで作り出す四角錐状の立体音響。必ずしも中心で聴く必要はなく、この音場の中のどの位置で聴いてもよい。)

トミタ・サウンドクラウドの由来

 1982年9月27日、冨田氏はオーストリアのリンツで毎年開催されている秋の音楽祭「アルス・エレクトロニカ」に初参加しました。Ars Electronicaとは電気の芸術の意味で、これは音楽だけではなく電気による光、コンピュータ・グラフィックスも含めて、電気による音と光の音楽祭なのです。ドナウ・パーク内にあるブルックナー・ハウスは約2000人を収容できるコンサート・ホールで、アメリカのコンピュータ・グラフィックス作家のロン・ヘイズと共演。もちろん音響は、前方の左右、後方の左右、天井の中心にスピーカーを配置した立体音響「ピラミッド・サウンド」です。
 ここで、「トミタ・サウンドクラウド」のきっかけとなった出来事をご紹介しましょう。
 --以下、冨田氏-- 「その2日後にウィーン・フィルが来まして、ロリン・マゼールが棒を振ってマーラーの5番を演奏しました。ブルックナー・ハウスの中での演奏自体は何ら変わったところはないのです。ところが、そのステージに8本のマイクが立てられていて、その音はホールの外でも聴けるようになっているんです。ドナウ川の手前岸のドナウ・パークという公園へ集まってくる聴衆を取り囲むように、スピーカーを向こう岸と手前岸に配置して、周りからそのマーラーの5番が同時に聞こえてくる。ホールの中には二千人ぐらいしか入れないのですが、野外には五万人ほどの人が集まってきました。これが、ホールで聴くマーラーとは全く別のものだったのです。マーラーの曲はやっぱり『大地!』という感じがするのです。ちょうど夕焼け雲が山の向こうに見え、その雲とあの拡がりのあるサウンドが実にうまくマッチしていました。屋外で『ズーン』と音がするというのは、全然違ったマーラーの再発見でした。『アッ、なるほどこういうことを言いたかったのか』、知らない面がわかってくるようなところがあったのです。」 --以上、冨田氏--
 このアルス・エレクトロニカは、楽器の音源して電気を使うという意味ではなく、クラシックのオーケストラの一つの新しい表現手段としても電気を使っているのです。冨田氏はそれをたまたま聴いたわけですが、非常にすばらしい一つの音の霧というか、音の雲というような雰囲気が感じられたそうです。主催者はこれを「サウンド・クラウド」と呼んでいました。ドナウ川での「サウンド・クラウド」には非常に感動したということです。

 冨田氏はこの頃より屋内にとどまらず野外での立体音響に、とても興味を示すようになりました。陸、海、空から音を発し、ほぼ1キロ四方の空間を占める大型の野外コンサート「サウンドクラウド」を手がけていきます。演奏者のステージは一カ所に定められてはおらず、陸上、移動する水上、無線によって演奏する空中のスピーカー等で広い空間で発せられる音が聴衆をすっぽりと包む。これがあたかも「音の雲」のように感じられるため、トミタ方式の「音の雲」といった意味で『トミタ・サウンドクラウド』と名付けられました。この広い空間を統制するにあたり、様々な新しいノウハウを開発。コンサート全体の制御は冨田氏自身が行ない、地上より15メートルの高さにクレーンによって吊り上げられたピラミッド型のコントロール・ルームの中で、すべてを確認しながら操作します。

 このトミタ・サウンドクラウドによって、1984年にはドナウ川で「宇宙讃歌」、1986年にはハドソン川で「地球讃歌」、1988年には長良川で「人間讃歌」を成功させ、音楽を通じた世界平和を訴え続けています。


トミタ・サウンドクラウド・イン・ドナウ

 前回のコンサートの評判が良く、オーストリア側からの依頼を受け、1984年9月8日に再び「アルス・エレクトロニカ」に参加することになりました。今回はオープニング・コンサートということなので、冨田氏からも野外でのサウンド・クラウドを提案しました。空と水と大地からの音が、全体として巨大な音の雲をつくりあげる。つまり、最もサウンド・クラウドらしいサウンド・クラウドを創るのが狙いでした。こうして、冨田氏念願の「サウンドクラウド」が実現しました。
 ドナウ・パーク全域、3隻の移動する舟によるドナウ川上、ヘリコプターによる空中から成る、初めての超立体音響によるコンサートを試み、『宇宙讃歌』をテーマに地球誕生から宇宙の行進までの壮大なストーリー『マインド・オブ・ザ・ユニバース』を展開します。レーザー光線、照明効果、花火等が加わり、この模様はオーストリアの国営放送局「ORF」によりヨーロッパ全域とアメリカの主要都市で放送され、日本ではNHK特集で「冨田勲の世界」として放送されました。共演者はバイオリニストの千住真理子さんと、オーストリアの200人のコーラス、そして、尺八の山口五郎氏。話はそれますが、山口氏の演奏による日本の古曲「鶴の巣籠り」は、アメリカの宇宙科学者カール・セーガン氏の企画による、惑星探査機ボイジャーに載せられた、宇宙の知的生命体に贈る金のレコード「地球の音」の中に、日本の曲を代表して収録されており、現在太陽系の外へ出て10億年という途方もない宇宙のあてどのない旅に出たばかりです。
 山口氏はドナウ川に浮かべた日本風の小舟に乗り同曲を演奏し、冨田氏はシンセサイザーにより広大な宇宙を表現するために、ドナウ川の向こう岸と、背後のドナウ・パークに合計8本のスピーカー・タワーを立て、ほぼ600メートル四方を電波天文台で受けた宇宙からの電波を音に変換したものを交えて、ゆっくりと音を回しながらボイジャーが銀河系の中を旅している姿を表現しました。
 フィナーレは『宇宙讃歌』ということで、ベートーベンの第九シンフォニーの「合唱」を演奏し、ドナウ川上のステージの合唱団とヘリコプターによる600メートルの上空からのバリトン・ソロ「オー・フロインデ・・・」と共演しました。クラシック、ロック、現代音楽といったジャンルを超えた圧倒的サウンド・パフォーマンスは、約8万もの大観衆を釘づけし、『トミタ・サウンドクラウド』の名を一躍世界的なものへと高めました。(※以下、敬称略)


トミタ・サウンドクラウド・イン・ニューヨーク

 1986年、アメリカのニューヨークの自由の女神が新しく改築され、「自由の女神100年祭」の様々な行事は、同年7月4日レーガン大統領がスイッチのボタンを押すと、女神の手の先から新たなる火が灯ることから始まり、9月13日、その特別イベントとして、トミタ・サウンドクラウド・イン・ニューヨークが、冨田勲に共鳴する世界のアーティスト達と10万の観衆が「自由の女神」を望む地に一堂に会し、史上空前とも言える巨大規模で行われました。
 場所はマンハッタン島の突端「バッテリー・パーク」。自由の女神が一望できるハドソン川全域とその空中である。企画と構成、参加ミュージシャンの人選はすべて冨田氏に一任されました。そこで思いついたのが、日、ソ、中、米、のミュージシャンのジョイント・コンサートです。新しく甦った自由の女神が、単に移民と自由国家のシンボルということだけではなく、この機会にもう一つ「世界平和のシンボルとなることを皆で願おう」という主旨です。そのためには当時は難しかったソ連や中国からの参加が是が非でも必要でした。そして、なおかつアメリカ国家のシンボルともいえる、ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」を、ソ連のピアニストが演奏することがこのイベントの大きな課題でした。共演者は、ソ連のピアニスト、ニコライ・デミジェンコ、中国の琵琶奏者、陳音、アメリカからはローナ・マイヤーやクラマ・デイルをはじめとする音楽陣や多くの現地スタッフ、日本からもヴァイオリンの千住真理子、尺八の山口五郎らが参加。
 今回は『地球讃歌』をテーマに、宇宙にはばたいていた人類が再び地球に戻って平和な世界を築く未来絵巻『バック・トゥ・ジ・アース』を表現しました。1984年、オーストリアのリンツで行なった『マインド・オブ・ザ・ユニバース』で宇宙へ旅だった人類のその後を描いた、いわばMIND OF UNIVERSEの完結編とも言えます。ストーリーは、地球上における核戦争の恐怖や自然破壊に対して、地球に見切りをつけてしまった人々が故郷の地球を捨て、やがて人類にとって理想郷となるスペース・コロニーや、他の惑星に移り住むといったところから始まります。時が流れ、そこで生まれた子孫たちが、かつて先祖の住んでいた地球が一体どういったところなのか宇宙船に乗って視察にやってきます。その出発にあたって、親たちからは「今さら地球へ行っても核によって破壊されているか、自然破壊が進んで茶色になって死んだ星になっているかどちらかで、行っても無駄である」と言われて来ました。ところが彼らが目にした地球は、青々と自然が甦っており、ニューヨークの上空で高度を下げると「自由の女神」は燦然(さんぜん)と輝いていました。その自由の女神のもとでは平和コンサートが行われており、ソ連のピアニストがアメリカの象徴、ラプソディー・イン・ブルーを演奏していました。
 その平和になった地球に彼らは降り立ったというストーリーで、ハドソン川の上にはソ連の船、中国の船、日本の船、アメリカの船とそれぞれ分かれてステージとなっていたのが、徐々に移動しながら最後には中央に集まったところに、上空に光を点滅させた宇宙船が現れ、メトロポリタン・オペラ歌手のクラマ・デールの声でドボルザークの「家路」を歌い演奏します。音・光・映像が織りなすサウンド・シンフォニーは、自由の女神の前に集まった約10万ものNYっ子たちをたちまち魅了しました。



トミタ・サウンドクラウド・イン・長良川


 1988年7月22日、「ぎふ中部未来博」のメイン・イベントとして、スティービー・ワンダーの協力を得て岐阜城山麓の長良川畔で行われました。テーマは『人間讃歌』。子供たちが空に向けて吹く手作りの竹笛に応えて、遠い宇宙の人々が現れる、心暖まるスペース・ファンタジー。長良川の雄大な自然と最新のサウンド・テクノロジーが融合した新次元スペクタクル・ショーは、訪れた約30万の大観衆を大きな感動で包みました。出演者は他に、ニコライ・ディミジェンコ(ピアノ)、趙国良(中国胡弓)、斎藤英美(エレクトーン)など。


    第一部
    1.ファンファーレ(作曲者不明…どなたか教えて下さい)
    2.序曲「1812年」(チャイコフスキー)
    3.ピアノ協奏曲第2番-第1楽章(ラフマニノフ)
    4.ヴォカリーズ(ラフマニノフ) 1コーラスはインスト、2コーラス目は蒲原史子さんが歌いました。
    5.二泉映月-ニセンエイゲツ(あびん)
    6.夢の旅「姐兒調」(郭峰)
    7.   「今年十六歳」(郭峰)
    8.ツァラトゥストラはかく語りき〜オープニング
    9.惑星〜火星
    10.オーヴァ・ジョイド(S.ワンダー)
    11.カム・バック・アズ・ア・フラワー(花の精)(S.ワンダー) 蒲原史子さんが歌いました。

    第二部
    1.アイ・ワンダー・アズ・アイ・ワンダー
    2.美しい地球(S.ワンダー)
    3.はじめての庭(S.ワンダー)
    4.ヴィレッジ・ゲットー・ランド(S.ワンダー)
    5.アイ・アム・シンキング(S.ワンダー)
    6.マイ・ラブ(S.ワンダー)
    7.大いなる木(S.ワンダー)
    8.オーヴァー・ザ・レインボー
    9.ファンファーレ?
    10.ダフニスとクロエ?
    11 .火の鳥〜終曲

    ※情報提供 K.Aihara 氏



トミタ・サウンドクラウド・イン・シドニー


 さらに同年11月5日、オーストラリアの『建国200年祭』を祝って、日本政府からのプレゼントとしてシェル・オペラハウス周辺のシドニー湾を舞台に、クロージング・コンサート「オセアニアの夜明け」をプロデュースしました。共演者はアン・アキコ・マイアーズ、坂東玉三郎、佐渡の太鼓グループの鼓童。原住民アボリジニーの民族音楽。



トミタ・サウンドクラウド・イン・横浜



 1989年7月23日、「横浜港開港130周年記念」のイベント・コンサートとして横浜港と山下公園をジョイントして行われた。共演者はニコライ・デミジェンコ、佐藤しのぶ、日野皓正、鼓童、森高千里、その他。


トミタ・サウンドクラウド・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」


 1990年〜1992年の12月、渋谷Bunkamuraオーチャード・ホールにて東急文化村の特別企画として、立体音響によるオペラを催す。1989年まで屋外の広いエリアを使用してサウンドクラウドを行なってきたが、そのノウハウを音響の良いコンサート・ホールの中に持ち込む。我々が日常生活をしていて、色々な方向から音を聞くことができ、また、方向だけでなく遠近、すなわち、夕暮れを告げる遠く5キロも彼方から聞こえるチャイムの音、そして、すぐ近くの横のテーブルの上に置かれた小さな時計が、可愛い音で同時に時を告げる。このように日常生活をしていて感じられる音の聞こえ方を、すべて楽器に置き換え、魔の森の木々の葉が風になびく音がホールの左右の壁から聞こえ、カッコウの鳥の声は背後から、天井から天使の歌が聴こえてくるといった、いわゆるオーケストラ・ボックス、すなわち前方からのみ音が聴こえてくるのではなく、ホール全体から音が聴こえ、観客を包む。


平安建都1200年記念・関西国際空港開港記念「泉涌寺音舞台」

 1994年9月10日、天皇家代々の御陵のある京都泉涌寺(せんにゅうじ)の境内で平安建都1200年を祝して「JALステージスペシャル 泉涌寺音舞台」(主催・京都仏協会、泉涌寺、毎日放送)が開催された。御堂の背後の山や境内の森の音響効果を生かし、地元の200人の合唱団の協力を得て、ヘリコプターによる空と山と森による立体音響を構成した。
 この『音舞台』は、「東洋と西洋が出会うとき」をテーマに、1989年に第1回を金閣寺で開催。以来、三千院、清水寺、平等院、東寺など、京都の有名な寺院仏閣を舞台に鮫島有美子、中丸三千繪、佐藤しのぶ、ブーニン、ダンス・シアター・オブ・ハーレムなど、国内外の超一流アーティストらが、 幻想的なコンサートを繰り広げてきて、今回で第7回を迎えた。
 今回、この泉涌寺の舞台に立ったのは、世界を代表するシンセサイザー奏者、冨田勲、佐渡を拠点に国際的な活動を行っている和太鼓集団・鼓童、南米のフォークソングの素晴しさを日本に伝えるフォルクローレンミュージシャン・クシヤクタ、イタリアのテノール歌手ジャンフランコ・パスティネ、そして五十嵐麻利江(ソプラノ歌手)、川田知子(バイオリニスト)、熊本マリ(ピアニスト)ら、若手女性アーティスト。「舞台からだけでなく、周囲の山や森の中、それに空からも音が聞こえてくるようにして、ひとつの宇宙を表現していきたい。」と述べていた冨田氏は、泉涌寺上空にヘリコプターを飛ばし、空から音楽を流したり、レーザー光線を駆使してオーロラのごとき光のカーテンを作り出すなど、まさにそこはトミタ・ワールド。乾いた南米の笛の音や、大地を揺さぶるような太鼓の響きが加わり、観客は、大地も空も古代も未来も超えた宇宙へといつしかひきこまれていた。


トミタ・サウンドクラウドplus

 1997年12月6日、名古屋中日ドーム落成記念コンサートで、地球の環境保護を訴える主旨。今回のストーリーは、地球にとどまった人たちが、次の世代のためにその自然を蘇らせ、何も知らずにやってきたスペース・コロニーの子供たちを迎え入れるところで終わっていますが、最後のマーラーの交響曲2番の5楽章(合唱)は、その地球の外をとりまく、壮大な悠久の宇宙を表しています。そして、その中でのほんの小さな宇宙の一角でおきた、スペース・コロニーや地球での様々な人間模様を描いています。共演者はレイ・チャールズ、マンハッタン・トランスファー、ディオンヌ・ワーウィック、リック・ウェイクマン、ロジックシステムなど。


トミタ・サウンドクラウドの足跡

  • 『エレクトロオペラ・イン武道館』(1979.11.19)
  • オーストリア・リンツ「Ars Electronica」に初参加(1982.9.27)
  • サウンドクラウド・イン・ドナウ『マインド・オブ・ザ・ユニバース』(1984.9.8)
  • サウンドクラウド・イン・ニューヨーク『バック・トゥ・ジ・アース』(1986.9.13)
  • サウンドクラウド・イン・長良川(1988.7.22)
  • サウンドクラウド・イン・シドニー『オセアニアの夜明け』(1988.11.5)
  • サウンドクラウド・イン・横浜『スペース・ポート横浜』(1989.7.23)
  • サウンドクラウド・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」(1990年〜1992年)
  • 京都遷都1200年記念イベント「泉涌寺音舞台」(1994.9.10)
  • サウンドクラウドplus「新マインド・オブ・ザ・ユニバース」(1997.12.6)

 今や日本のみならず世界中で高い評価を得ている『トミタ・サウンドクラウド』。そのメッセージの根底に流れているのは冨田氏自身が持ち続ける、自然・人間・宇宙への限りない愛情。世界の名だたるミュージシャンが毎回共演者として名をつらねるのも、冨田氏が発信するメッセージに共感するからこそである。


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