(七) 劇場押えの事
 さて、その夜、演出家のギンジロが巣に戻ると、本当の芝居の仕事が舞い込んで来ました。   
  赤いトンガリテントの唐辛子一座に対抗している、黒いテントの角砂糖一座が久々に公演をやることになり、その中の役が回ってきたのです。  
  翌日、ギンジロは、その仕事の打ち合せに行くためにいそいそと道を歩いて来ますと、下淵沢広場劇場の前にタヌキのキッタンが何やらニヤニヤしながら立っています。  
  おてんとう様はすっかり昇り、ぎらぎらとした陽が、キッタンの毛の薄い頭にさしていました。
「今日は。」
「お早う、ところでそんな所でなにしているの。」
  ギンジロが聞きました。すると、
「嫌ですよ、皆に言われたので劇場を押えに来たんですよ。」  
  キッタンはこう答えました。
「ああ、そうだったね。それでもう押えたの。」
「ええ、もうすっかりですよ。誰よりも早く押えましたからね。眠っては他の動物劇団たちに負けると、そりゃあ昨日から徹夜でした。」
「ふーん、そりゃあ、感心だ。力が入ってるね。」
「力入ってるでしょう。もう朝の5時にきましたからね。」 「そりゃ又、随分早いね。そんな時間にもう劇団事務所はやっていたかね。」
「えっ?」  
キッタンは不思議そうな顔をしました。
「それで、いつを押えたの。」
「ええ、それはもう、ずっと押えていました。」
「・・・?ずっとだって。それは長すぎるよ、いいところリハーサルと本番で二日だろう。」
「えっ、リハーサルに本番ですか。それに二日間も押えておかなくてはだめなんですか。それは又随分長いな。」
  今度はキッタンが驚いたように言いました。それから、
「もう、誰にも触らせまいと、昨日からずっと押えていたんですがね。こうして。二日間はきついなぁ。」  
  そう言うとキッタンはニッタと笑いかけながら、下淵劇場の木の入り口を手で押えたのであります。
「あのな、おまえ。劇場を押えるって言うのはな・・・」  ギンジロはキッタンが何をやっているのかやっと納得したらしく、そこまで言いかけましたが、あまりに馬鹿ばかしくなって、
「いいよ。いいよ。俺がやるよ。」と言って、劇場の中に入っていってしまいました。キッタンは一体、どうなっているのかさっぱりわからずにキョトンとしましたが、やがて澄ました顔で口笛を鳴らすと、又、劇場の木を押えていました。  このキッタンの劇場押えの件は、その夜「ロレットット」で話題となり、もう皆大喜びに笑いました。でも、とにかく中秋の名月の頃、下淵沢広場劇場で芝居ができることは決まったのであります。
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