補完の実際
updated 2000. 8.12
目次
- ・真の補完とは
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-
サードインパクト時の様子のように、LCLに溶け込んでしまうことを
「補完」であると、考える人が多い。
確かに「不要な体を捨て、全ての意識がひとつとなっている」状態は、その欠けた
部分を補い合っているという意味で、補完されている状態であると考える
ことができる。
しかし私としては、真の補完とはやはりシンジのような、一度LCLに溶け込んだ
人が、それは間違いであることに気づき、再び人のかたちに戻ることを
真の補完であると考えたい。
LCLに溶け込むというのは、かつて70年安保の時代に多く広まった
共同体幻想(コミューン)を思い出させる。こうした共同体幻想は「ガンダム」の
ニュータイプ幻想をもたらし、一方で宮崎アニメにより「自然と人間が共存できる」
というユートピア思想をもたらした。
この流れを汲むエヴァが、単純に人類進化という古いアニメの手法で
満足するはずがない。少なくとも、宮崎監督が『もののけ姫』で
自らのユートピア思想を捨ててしまったのと同様、人類補完計画の次に来るもの
をなんとか模索しようとしたに違いない。
それはわかる人にしかわからない補完であったために、結果として
「誰も救わなかった、悪意を吐き出し続ける作品」とエヴァはなってしまった。
人類補完計画に続く救いの道はなんであろうか?
それは各人が自力で、必死に考えて、模索し続けるべき道なのではあるまいか。
社会は共同体幻想から離れて、より個人主義的な自分さえ都合良ければそれでいい
恋愛幻想へと向かった。だがそれも人間の自我を安定することを導かない。
そのことは映画版の実写シーンで明らかになる。
社会から自分自身へと逃避した人々には、内面にあった価値を支えに生きていくしか
ないように思えた。だが、それももはや存在しない。ではどうすればいいのか?
(参考:本田透 「消えたアダム〜デビルマンとエヴァンゲリオン」
『日刊アスカ同人誌版』 1999.8)
逃避した人々は、再び、身近な人々(恋人や友人)を支えに生きていくしかない。
自分が酷い人間であることを恋人が理解し、同様に恋人が酷い人間であることを
お互いにわかりあうこと。それこそが、エヴァにおける補完ではないだろうか。
エヴァの後オタク界は一転して擬似恋愛ゲーム一色となり、残りは
『CCさくら』や『デジコ』のような明らかに幼児年齢のキャラクターへと移行した。
注: 擬似恋愛ゲームとは、ここでは『ときメモ』(これはエロゲーではない)から
端を発したゲームで、さらに恋愛成就するとSEXができるという設定が付加されて
『To Hart』で完成をみたエロゲーのことを指す
つまりオタク達は、エヴァが救ってくれなかった自分をさらに閉じ込め、とうとう
都合のよい幼児や、自分のことを永久に見てくれる架空の恋人に逃げる
結果となってしまった。これが現代男性に恋愛拒否症候群を生じさせている
原因ともなっている。
一方、本来、性的なものに対して拒否するはずの女性達は、ますます性的に
開放され、ついにはホストを買うという状況にまで向かっている。
確かに「お願いだから僕を助けてよ」と男性が言ったところで
「母親じゃあるまいし、そこまで面倒見きれない」と言われるのがオチではある。
それでは女性達自身も救われないことに、彼女達が気がつくまで
この悲しい関係は続くのであろうか?
- ・アスカは補完されたのか?
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「エヴァはどういう形であれ、結局、男性の象徴としてのシンジの補完に終始した。
では女性の象徴としての役割を与えられたアスカは補完されたのか?
されたとすればどうやってか?」というのはエヴァ映画版における
大きな謎のひとつとなっている。
一応、LCLに溶け込むという形でまがりなりにも、人々は補完されたにも
かかわらず、アスカに限っては、補完シーンに現われない。そして、おそらく
シンジを好いていたであろうアスカは、シンジの補完シーンで、そのことごとく
を拒絶する。誰もがシンジを受け入れるようなセリフを吐くのに。このことは
いったい何を意味しているのだろう?
- アスカは補完されなかった説
-
「エヴァは庵野監督の内面をつづっただけの私小説であり、現実ではない。
いわば彼自身が「お願いだから僕を助けてよ!」と叫んでいるようにも見える。
したがって、彼が現実世界で好いていたと言われるアスカ役の宮村優子女史が
庵野監督を好きにならない限り、あるいは別の誰かが庵野監督を愛して
あげない限りアスカは補完されない」
という説がある。緑の公衆電話・地下に埋め込まれていない電線・旧タイプ
デザインの缶コーヒーなど、確かに2015年とは思えない遅れたものが並ぶ。
まるで、当時の現代日本と、庵野監督の妄想が混じりあったような世界に見える。
確かにその解釈は成立するかもしれない。
しかし、それではあまりに救いがなさ過ぎないだろうか?
もう少しましな解釈もある。
「アスカはATフィールド発生機であるエヴァに乗っていたから補完されなかった」
この説はわりとスムーズにその他の謎を解決する。
シンジに対して拒絶する理由は 後述する
が、極めて自然だ。アスカは最後まで
みかけ上シンジを拒絶していたから、誰の心のアスカもシンジを救うはずはない。
また一方、エヴァの最大の謎とされるラストシーンすら解釈を容易にする。
#25′の描写にもあるように、アスカはエヴァとの高いシンクロ率を実現した
ものと予想できる。おそらく、母親同様に精神汚染をきたしてしまう可能性が
極めて高い。そして、補完されたシンジはアスカを一生懸命、介護するだろう。
だがアスカは精神汚染のため、シンジの心を理解することはできない可能性がある。
母親同様、酷い言葉でシンジを罵ったりする場合も十分ありえる。そのとき
「こんなにがんばっているのに、どうしてやさしい言葉のひとつも
かけられないんだよ」とシンジが一瞬でも思わないはずはない。だから殺そうと
してしまった。
だがそれにより一瞬、アスカは精神汚染から逃れた。そのとき
言えなかった「ごめんね」の一言が言える可能性がある。そこで、シンジは気がつく。
それこそ「他人のためにがんばっているんだ」と思い込み、それを人に
認めて欲しいだけだということに。
ボケ老人介護に携わる人が、逆ギレして非介護者である老人を
殺してしまうなどということも起こる。シンジがそうなる可能性は決して
少なくない。これも真実のひとつだろう
- ・アスカはなぜシンジをあれほどまでに嫌うのか?
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アスカが補完された説を採用すると問題となるのは、「アスカはなぜシンジを
あれほどまでに嫌うのか?」という点である。
ひとつの可能性として、日刊アスカの本田さんはエヴァとデビルマンの類似性から
「シンジとアスカは、それぞれデビルマンの主人公である不動明と飛鳥了だから
そのラスト同様、『月夜の浜辺で、世界にたった二人きりとなった彼らが生き残るが
激しく憎しみあって、遂に結ばれない』という結果となった」
(参考:本田透 「消えたアダム〜デビルマンとエヴァンゲリオン」
『日刊アスカ同人誌版』 1999.8)
という主張をしている。確かにエヴァはデビルマンの影響を色濃く受けており、
そうした考え方は、真実のひとつではあるだろう。だが、あまりに突飛すぎる。
本田さんは「だから結ばれる物語がエヴァには欠けている」と説く。はたしてそうなのだろうか?
「アスカが補完されなかった」説に立てば、シンジを拒絶する理由は明らかである。
シンジは必要以上に女性に怯えているマザコンであることは疑い得ない。
あの時点でシンジは「自分は生きるに値しない」と考えているはずだ。「だれもが
みんなが僕を嫌っている」と。でも
誰も嫌ってはいません。もっとはっきり言うならば、ほとんどの人は自分と自分の
回りのことで精一杯で、好き嫌い以前に、シンジ君のことなんか誰も
気に留めていません。
(Ref. Data pages for Neon Genesis Evangelion)
本当に、それだけなんですよね。
でも自分のささやかな心を守りたいシンジはかたくなにそれを否定する。
全ての心がひとつになっているのだから、みんなに、その答えを聞ける。
そして誰もが彼を嫌っていなかったことに気がつくだろう。だから、唯一、
LCLに溶けなかったアスカを使ったに違いない。「ほら、アスカは僕を嫌っている。
みんなが僕を嫌っていないなんてウソだ!」と。
シンジをあれほどまでに嫌うアスカは、シンジが作り出した
妄想なのではないだろうか?
- ・アスカを補完するための方法は?
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我々はアスカを女性を、どのように補完すればいいのだろう?
アスカの悪いところは「アスカ本人の本当の心にウソをついている」点にあるのは
明らかだ。
貞本版エヴァにも描かれているように、アスカは明らかに、シンジに気がある
ように描写されている。TV版では、はっきりと描かれなかったが
ビデオ版22話に追加されたカットからも、アスカがシンジに気があることは
疑いえない。
アスカがシンジに気があることは何の問題でもない。問題なのは「アスカは
シンジのことが好きであるのにもかかわらず、その気持ちを自らが認めていない」
点である。エヴァパイロットで、天才美少女で、という自分を捨てることができず、
王室の王子とかならばともかく、明らかにさえないシンジを、それでも好きでいる
という現実を認めたくないのに違いない。
アスカ自身は好きなのに「嫌いたい」ので、アスカはわざと嫌ってもらうように
シンジにイヤな思いをさせていたと考えることができる。
一方、その点においてレイは異なる。
レイにとってはシンジは自分の兄であり息子であることから、少なくとも、
何か違うという感情からシンジに興味を抱くことは明らか。
でも興味を持つということは、それは好きという感情のひとつ。
でもレイにはそれがわからないから何もできない。シンジの方にしても、
もともと女性を怖がっているのだから、レイとは距離をおいてしまう。
もしエヴァをシンジの成長物語だとしたら、トウジやケンスケあたりと
エロビデオ鑑賞会でもさせて、レイに対しての性的イメージを膨らませ、
レイを押し倒させるべきだっただろう。そうしてレイを例えば強引にキスする
とか、本人が嫌がるであろうとシンジが考えることをやらせる。
でも好いているレイはそれを許すだろう。そうして
シンジは「女性をそれほど怖がる必要がない」ことを
理解していくべきだったと思う。
でも、なにもなかった。
男女平等思想からすると、女性をキズつける男性はクズでしかない。
その世界では、シンジはキズつけ、でも許してもらうことを求めることも
できなかったと考えるべきだろうか?
アスカがもし現実世界の住人であるとすれば、こんなタカビーバカ女をかまう
理由など何もない。ちょっと顔が良ければOKならば、そうすればいいし、
それで女を食い物にしか考えていないような男にひっかかるなら、そうすればいい。
厚底ブーツのガン黒茶髪のバカ女がコケて死んだところで、だからなんだ
というのか?
アスカに限らずほとんどの女性は、心がどこか欠けており、その心を埋めて
もらえるかのように、男を求め、SEXを受け入れるようだ。
欠けた心がより大きいせいのかもしれないが、そうした欠けた心を補完してもらう
ために援助交際という名の売春で、ヤリまくっているバカ女を、なんで
わざわざ救ってやらなければならないのだろう?
それでも補完されるとすれば、それは
彼女らが、自分で、自分の間違いに気づくこと
でしない。
でも、たぶん、彼女達は、それを認めないのだろうな。
Take care of yourself.
更新履歴
- 2000. 1.31
- 2000. 2.16 タイトル・フッタを修正
- 2000. 5.13 フッタを修正
- 2000. 8.12 HTMLの記述ミスを修正