目次
1 架空のオペラ(1969年のノートから)
2  毒薬と狂気(1970年)
3 木蓮幻想
4 エレジイ 女へ(1971年)
5 雑記蝶
6 如来の華


毒薬と狂気 (1970年)

 
瞬時
俺はピエロの表情を学び、人生に卒業した。
緑の草原、夢見る星々、大海を渡る風、その下で藻に包まれて
真珠は窒息死した。
俺の胸に飾るに相応しい光沢をとどめた、この一粒一粒が、色彩を再び現
す時は、俺の「死」がその「死」と取って変る時かも知れない。
俺はピエロの表情を学び、一瞬の裡に生と死を大理石の柱に彫刻する事を成した。

春と遁走曲
俺の心にと、胡蝶は月下の雪原に銀粉を蒔いて飛び去った。
それは、鬼火のように燐々とした炎を、丘のなだらかな斜面に青く曳いた。
俺の夢は、いつも北極圏に飛んで行く狂気の蝶だった。どんな名匠の手に
なった横笛よりも、そこでは俺の心は遠くに染み込んだ。
はや、氷山の心に春の蝶のように凍結した紫の自由の花々。その青い影の
中で、俺は尚、落下してゆく俺の心に、その花々を掠めとろうとしていた。

眼鏡
かつて俺が住んでいたかったと渇迎する古代は、紫に花薫る、軽重浮薄な
言葉が往路を行き交い、雲のたなびきに染まる涙を牡丹の香にたとえる園だった。
そこで俺はいつも光花が降る女御の牛車を追いかけながら、言葉と絵を錬
金していたことだろう。
安政の黒船は「博愛」を売って、「伝統」を買って行った。
その日からこの国は骨董屋に変じ、主の眼鏡の庭に算盤は踊った。

春の嵐
古ぼけたハープシコードの鍵盤の上で、緩やかに投げ込まれた午睡の光を
浴びて、独り不満げに目覚めていたマリオネットの眼の前、突然、春の嵐が
花吹雪を見舞った。
新緑の柳の枝が、黒光する野犬の肌になびいて、並木道を走って行くのが見えた。
額縁された窓の彼方の土手に、雨は桜の霧を撒き散らし、二本の轍の跡
に、先ほどまでの恋人達が交わした囁きが、茶色く衰弱を浴びて落下する。
マリオネットは笑ったか、片目の乞食は笑ったか。
鳴呼、不具者に備わる見者の眼光、俺は快く髪を逆立てて、この時こそ
人々の急ぎ足を緩慢に眺めやる。春の嵐を盗んで、俺は意地悪く、
マリオネットと共犯して盗賊をこの世に行う。

盗賊マリオネット
 時に、夜な夜な青く刺繍された東洋の繻子をひいた寝台の上で、月の光に
微かに照り返る躯を恥じて、心虚ろに陶酔の境を彷徨うマリオネット。
 擦り硝子の窓に映るほのかな桃色の花が美しく咲けば、手を出さずに、心に盗む。

真珠
紫と銀の海の夕暮れの瞬きが、海底に沈んで行く真珠に淫乱を囁きかけ
る頃、俺は荒磯の岩の上に立って「美」を罵った。
傍らで吠える犬は、緑の鮮血を滴らせて、俺の絞首刑を飾ってくれた。
腐った魚の匂いが薔薇に埋もれて、俺の鼻腔奥深く蘇った時、真珠の光は
もうこの世の果 て、海の絶壁を落ちて、消え失せていた。
海の輝きは袈裟斬りに断たれ、俺は包帯した海の白さを毒づき、傲慢に眺
めやる彼方の沖合いに未知の光を認めた。
半島に光は花紋となって降った。
俺は、残酷と不純の中に、もういくらでも「美」を具現し得た。
 
モーツアルト
俺は今日、マッチが燃え尽きる間に発狂した。
あらゆる言葉が自由になった。本棚から活字は酒を呑みに来た。
布団は女を創造して踊った。
パイプは水の蒸発を罵った。忍従が菊の花を暗殺した。生と死が、一瞬の
裡に畳の上で交情した。音が毒薬に化け、銀の燭台を持ったメイドになっ
た。そこにはどんな冷笑も哀しみもなかった。人々は死に憧れ、この夢幻の
森を現実の森と混合しようと焦った。
しかし、童話の主人公は森の中にちゃんと悪魔の住処を隠しておいた。
俺は確かに今日(一月八日、未明)発狂の為に文字を綴っている。

紫の神権
さて、狂気が春を隅取った。自由が午睡の港市で荷造りされた。
犬にでも食われてしまえ、天国の面した地獄の悪花、光とどめぬ瞳。
信者達は真っ直ぐに、その花の香の常習犯となった。麻薬よりも残酷な鎖
の罠とも知らずに、彼等は蛆虫のように「大義名分」の名の元に・・・命の
賭博が恐ろしいので・・・その階段をよじ登った。
そこではどんな悪臭をも放つ内臓の燗れを薔薇の香に変えてしまう刺ある
権力がのさばった。
俺はそこで処女たるマリアが処女のまま犯されて行くのを見た。既に犯さ
れた者も、犯されつつある者も、皆一様に、口から涎を垂らして、その紫の
神権に欲情していた。
Copyright (C) 2000-2002 SHIGEO OWA. All Rights Reserved.