目次
1 架空のオペラ(1969年のノートから)
2  毒薬と狂気(1970年)
3 木蓮幻想
4 エレジイ 女へ(1971年)
5 雑記蝶
6 如来の華


エレジイ(女へ)1971年

 

貴方は「約束」を誓った青い蝶であったが、
ある日、花園を嫌悪した。
音楽と詩の真が、あなたを
「約束」から自由に解いた。
あなたは今、愛を持った金色の蝶であった。
大理石にあたる朝日の囁きを浴びて、
あなたは静かに羽根の影を刻んでいる一つの階段。
確かな足音に、あなたは確かなときめきを迎える。
もう、あなたは青い蝶でなく、金色に夢を解く。
(71・5・7)



 トロリ、トロリ、熱のある日、僕の細く青白い指をとって、
紅の染みるまで彼女は口づけをしてくれました。
 その色は、白磁の花瓶に咲くバラのように熱く、剥せばたちまち花粉のよ
うに散ってしまいそうな、湿って、乾いた跡でありました。
 暗闇に燐の匂いを残して、シュルシュと一本のマッチを灯すのです。
 さすれば、青白く僕の手は浮かび上がり、恥らい、身体中の熱はその紅に

寄せて、愛の言葉を吐き出すのであります。
 青白き謎人をベッドに残したまま、彼女は今、晩春の蝶のように揺られて、
南への夜汽車の中。


恋物語
長い長い夜汽車が通るまで、
ぼくは美しい茶色の女狐と、
恋を捨てる物語に打ち興じておりました。
時は春、丘の上。
黒い森の上に出た滑車のお月様。
とんがり帽子をかぶって胞子が飛んで行く 。
黄色い光に誘われて・・・。
さて、長い長い夜汽車が通るまで、
まだ幾分も時はありました。
さりとて、
恋を捨てる物語も尽きることは有りませんでした。
やがて、トンネルを抜けたランプの列が
煙管の輪を吐きながら通りすぎるまでには
美しい茶色の女狐とぼくは

涙の河を渡っておりました。それから、ぼくは丘を下り
女狐は一本の月見草になりました。


早春 1
赤い水花に口づけする朝、
あなたの白い頬に映る、」
松の葉の影を、
私は通りすぎる。


早春 2
あなたの乳房が今宵
わたしの耳に永久の鈴の音を、
教えてくれた
それは雪割り草のように
微かな崩れを響かせながら
あなたの春の血管を
昇ってやってきた。

 
女へ
背伸びした時は、ハッとさせられるように私より物知り顔の大人であるくせに、
その小さな肉体の語るものは、
私の優しさに抱かれる夢を語る、弱々しい傲慢であるお前。
もうすべて私を知ってしまった安心が、
私の中に新たなる未知を探そうとして、我ままになるのだろう。
−−−−それが、お前の強がりを示せる唯一の泣き虫。
−−−−それが、私には、お前の一番の愛しさに見える小憎らしさ。
あなたよ、女よ、赤児よ、
お前よ、魔物よ、ずるさよ、
私が、お前を愛するのは、お前と同様に、
私がお前のすべてを知ったと思うのに、お前は私の永遠の彼方であるためだろう。
こんな繰り返しが、私の愛を育む。
私はお前にいつも水をあげよう。お前がいつも爽やかな湿りを持てるように。
私は、お前が嬉しい。


女へ 2
お前がフッと黙り込んでしまう時、
私はお前の沈黙をわかってあげようと
言葉を捨てる。
でも、お前がお喋りな時、
私は面食らう。
私の心が饒舌な耳を持つからだ。 聖夜  
今宵、夜空の中に黒く咲く思い出は
樹氷のように凍りついていた。
マニュキアの爪で、それを
女は先ほどから、一枚、一枚、剥いでは
ステンドグラスの恋文を作っていた。
・・・思えば、とても遠かった・・・。
・・・ネオンの中の、風花の香を運んでいた頃の、あの人は・・・。
まだ、その日は来ないけど、
夜空にこぼした星座は、今宵が一番美しい。
カードの出来たことだし、
早めに贈ってしまおうかしら、
私の唄を。
「メイリイ・クリスマス!」

 
思い出の小唄
君に何か、そこ そこを、語りはしたいのだが
林檎の芯より、遠い。
トタン屋根はシンシン泣いて
あの日、ぼくは二の字、二の字、雪の跡
さて、はて、何とまアー ぼくは君とあいつの部屋のこぼれ灯が
羨ましかったことだろう。
以来、あいつの君とこのぼくが
一緒になったからとて
捨てたじゃないか
あいつは君を  
・・・あいつ、心の影、黒くあるまい、青くさえ
あいつ、目はいつもニースの光の絵の具
だけれどもぼく、ぼくは今でも
チントンシャン、ああ、手を振り振り
チントンシャン、チントンシャン  道化振り  
そこ、そこをぼくは君に  
君に何か、そこ  
底を語りはしたいのだが  
林檎の芯より、遠い。


道化の唄
ピエロよ、今宵  凍った林檎に玉乗りしよう
星も落下してしまった夜空の下で
彷徨える子犬の足取りよろしく
ピエロよ、今宵
凍った林檎におまえの頬紅を
染め映し、裸電球の
心を温めあおう  
・・・窓辺を過ぎる
すきとおった風達の声
ピエロよ、今宵 凍った林檎にナイフを入れよう
凍った果実の緊密なる皿の上
肌恋しあう唄、歌いあおう


失踪
ピアノからマロンの香が流れ出す。
ぼくの耳は、絵解き油のように震え、
そして、身の毛をよだてて
軽々と宙に、
白い牡丹のような、失踪を図る。


六月
ビー玉の中に映った、緑の屋根のお家は貴方だ。
朝、光が透明な絹の音を投げかける頃、
ぼくは目覚め、庭に踊り出る。
きっと、貴方は白いビロードの靴を履いている。
意地悪な薔薇の刺は、
眠たい莓の花を貫き、
怒りっぽい松の枝をうながす。
窓に映った、微笑みを忘れた樫の葉
朝は誰もが乙に澄ました無関係の喜びを
そよ風にぶつけて、それから不安を抱く。
青い吐き気が緑いっぱいに、
光に向かって微笑みを送り帰す。
四角い大地に、鉄の花が汗を流して、
ギラリと光ったものは、あなたの午後の後ろ姿。
夜のビー玉に赤く星は宿り  燃え上がる心が、あなたのお家。


雨のシャンソン
雨が降ると、ぼく達は  小さな部屋に閉じこもる。
そして、ぼくは君をゆっくりと
抱くことが出来るだろう。
やがて君の髪は、ぼくの指に絡み、
ぼくの髪は、君の指に梳くわれる。
この時から愛の時間は、
この世の時を追い越さねばならない
そして吹く風は、
二つの肉体の山脈を、
波打ちながら越えて行かねばならない。
外には雨が降っている、
君の流す涙のように。
ぼくはたちまち、八月の海の香を  窓辺に呼び戻す。
しかし、青空は消えている。
何故なら、ぼく達の愛の雫の熱が、
降る雨よりも強く、窓辺を覆うからだ。
言葉もきえる。
呼び交わす言葉は、君とぼくの名だけ。
それが雨の音になる。


失踪
ピアノからマロンの香が流れ出す。
ぼくの耳は、絵解き油のように震え、
そして、身の毛をよだてて
軽々と宙に、
白い牡丹のような、失踪を図る。


マリファナ回帰線
マリファナは緑、お茶の色  
バッハは琥珀、落日の涙
乙女のざんげ懴悔、地獄のお供え
犬の遠吠え、夕焼けの爛れた欲情
蜜柑は故郷、たゆたかな海のうねりに、鋼のレモン
ぼくの夢は夜明けと共に昇天し
虚ろな魂を都会のビルからビルへ綱渡り。
花束を星から星に懸け
白い子犬とじゃれたのは、幼い日の夏の川辺り


エミール・ノルデ・絵の別れ

ぼくは語らなかった  語れる言葉を君に持っていなかったから
(ねえ、ノルデ、赤い風が丘の上を吹いているよ)
朝焼けに大樹の影が  君の姿を掏めとり
震えるぼくの膝は羊歯のように  暗く痛んだ。  
(ノルデ、青い空が寺の上で唄っているんだね)
懐かしい記憶は、明日を押し潰し  
マイナスに辿る旅路でしかない    
(ノルデ、錆びた夜は、海の彼方に始まろうとしている)
この哀しみの中で、ぼくは一体  何を守ろうとしているのか
月に照らされた指輪か、銀の葉か、
(ノルデ、黄色い雲が嵐を孕んで、夜を盗もうとしているよ)
水彩絵の具の中に君は溶けてしまい
美術館のテラスの窓に
切り文字のように唇が、何事かを呟くが
ぼくにはもはや、戻れる術もない
(ああ、ノルデ、すべての色が混じり、黒い風が足元を吹いている) 


海と機関車
ぼくの見たもの、
海に吊した石ッコロの太陽
鳴呼、あそこを通りまするは、
ポッポ、ポッポ、
蒸気は、夕焼け吐いて
丘の斜面を、通りまするは
ー蜜柑畠の機関車だ。
あれは良かった、
蝶のように振られた赤児の手
ヒラヒラと、
ぼくの心に染み入り  心に染み入り、しょっぱく、
涙は、沖の波間に

鋼のレモンの輪を転がした。
ぼくの見たもの、
海に吊るした石ッコロの太陽

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