目次
1 架空のオペラ(1969年のノートから)
2  毒薬と狂気(1970年)
3 木蓮幻想
4 エレジイ 女へ(1971年)
5 雑記蝶
6 如来の華


如来の華

紫陽花
濡れそぼる六月の雨の下  
傘を持たないぼくは  
君の濡れた紫を、愛でよう。

*
百合

ぼくは、いつも  
君の小首を傾けた  
正しい視線を受ける
*
すみれ

この都会の五月の夕べ
無機質な壁に照り映える
ぼくをおびやかす
光の塊の羅列
それでは皆さん、さようなら  
明日から、ぼくは円くなります。
*
宵待ち草

灰色の夕暮れに、 天体望遠鏡を買い求め
オレンジ色の月を眺めるのは、いいことですが  
その昔、住んでいたという兎も、今は行方不明で  
都会の電極層に捜索願いが貼られています。  
誰か、あの兎の行く先を教えてください。
 
ああ、ひとつだけ手がかりはあります  
月の兎は金色に輝く宝石箱のような眼をしてましたから、  
こんな季節の灰色の夜でも、きっとその瞳はどこか光っているはずです。  
逆さまに覗いても、まあるくて、もうきっとキラキラと映るはずですから  
どうか、あの兎を見つけたら、ぼくたちは灰色の時を変えて  
すきとおった伝説の季節に立ち帰りたいものです。
 *
如来の華
バビロンの庭園に、ダクダクと僕は  
400ccのバイクを駆って  東洋の一輪の睡蓮を、届けよう。
(実に白きその花は、昨日、山の麓から採ってきたのです。)
あの方の、光る素足を浸した泉に、  
薄暮の安らぎが訪れた時に生まれた誓いの花よ    
今や街はむっつりとふやけ、デコボコして  
透明なエーテルはもう真空地帯に帰ってしまいましたから  
この花から立ち昇る濃度100%の芳醇な香気が必要です。
 (実に白きその花は、昨日、山の麓から採ってきたのです。)
 
あの方の、疲れに澄んだ瞳が閉じられて
冥想の泉に浮かび上がった、幻の花よ。ー雲が晴れていくよ
ー風が運ぶんだよ
ー雨も静かに去って行くね  
僕はバイクの背にもたれ、立ち昇るエーテル達の声を聞く  
この千九百八十年のバビロンが  砂崩れする音を聞きながら  
僕は自分が走ってきた高速道路が、タイヤの跡をもうとどめないのを知っている
 
音もない、光もない世界。
しかし尚
それらよりも早く、確かな香を放つ夢幻の花よ。
(実に白きその花は、昨日、山の麓から採ってきたのです。
*
苦しみの声
僕は貧乏なんかに負けてしまう  弱い心を持っているので  
心までが倒産してしまいそうだ。  
例えば、雨が泣く、そこで滑べって終わりだ。  
例えば、酒だけは求め酔い、それで勝ったつもりだ。  
例えば、花を見て、惨めに染まる。  
ああ、だがこれは僕の心の呪われた宿命であり  
その自らを転換するために、そんな雨や酒や花があるのだ。  
貧乏を、誰のせいにするでもなく  
自らを強くしてくれるための財産なのだと思える  
毎日の真摯な働きと、人を侮辱しない気持ちと  
丸い頭脳と、四角い心臓をとを持って  
温かい心で、優しく人を見よう。  
そして、強く自分に信念を祈ろう
    
ホラ、雨は紫に煙り、酒は美神を招き
花は口づけを与えてくれる  
そのようにしかないものなのだ  
だからもう、僕をひとり解き放ち  
皆のために、皆のために、
この貧乏から得た宝を  分かちあう時が来ている。  
物質と形象に染まることなく、汚れずに来た、  
深い底からの声があるではないか。  
その声を失った時こそ、僕は生きていながら死んでいる、  
本当の貧乏人だ。   
*
確信  ー岡本君に  
確かなる信頼は、物質よりも豊饒な、存在する光である。  
確かなる信頼は、精神よりも澄み切った光である。  
だが、この光は中々目に見えないので、  
それ故にいつも、時代の詩を生む原石のままである。  
例えば、これは詩ではあるまいが、  
小林秀雄はこう言った。  
「命の力には、外的偶然をやがて
内的必然と感ずる能力が備わっているものだ。」  
この能力とは、それは生命の無始無終にある光の発見へのエネルギーであろう。  
なんと勇気づけられる光であろうか。  
そのような光を見た者達まだ本当に少ないのだ。  
おのれの種を、人のための果実にすることが出来た人が本当に居ただろうか。  
おのれの結果を人のせいにしたことはあっても、  
おのれの原因を人のせいにしたことはあっても、  
そのもっと遠くにある自分という命の種を、自らの中に求めなければ、  
それは花でもない、果実でもない。  
この確固たる主観を抜きにして、客観とは唯の抽象でしかないだろう。  
それを現実だなどと呼ぶのは止めよう。  
あの光が、もう君の心の中から消えることはあるまい、  
それを確信と呼ぼう。

*
夜の雷
 
十一月の雷が鳴っている。
何の音か、この雨に、
・・・ああ、慰めだと思い、  
ドラム、ドラムを鳴らせ。
何の光の絵か、この夜に、
・・・ああ、独りぼっちだと思い、  
スケッチ、スケッチ描きなぐれ。
 
十一月の僕が震えている。
何の酒か、この部屋で、  
・・・ああ、この酔いのために、  
ユーラリ、ユーラリ人を責め
何の夢か、この言葉に、  
・・・ああ、この夜が、  
コト、コト無情だ と唄うのか。
 
(かくも弱く、僕は天空に身を委ね、裸のままの交信をする。)
十一月の雷が鳴っている。
叩け、叩け、叩き終わって、
光を躍らせろ。

*
道化師の祈り

ひとつの新鮮な自転車があります。  
そして、宇宙に続く温かい一本のロープがあります。  
道化師は狂気の蝶のようになって、その自転車を漕ぐにまかせ、
遠くアラビア海から、
北極圏を渡り歩き、シタールを奏でる睡蓮のインドを眺め、
朱と黄色のターバン駱駝の隊商のオアシスを巡る、
独りぼっちの 夢見る空中サーカスを演じていたものです。
 
あの頃、星達は笑いさざめき、
確かなる果実を収穫する乙女たちは、
その頭上にある、このまことの喜劇の幕開けを知りませんでした。  
道化師も、ただひたすらに自分の夢に夢を 描き続けておりました。
 
それは「絵のない絵本」を書いたお月様の光のペン、  
アラジンと消えた魔法のランプの煙、  
或は、夜なべする母親の砧の音の中に消えて行く願い。  
しかし、確かなる内的必然をその心に噴出 させる、
そのような、ひとつの新鮮な自転 車でありました。  
そして、道化師はまだ、孤独に、純粋に、 
このロープを登って行く夢と、  
ひたすらに路傍の石のように黙して語らない、デクノボーと呼ばれる現実の間で、  
いまだに本当に自分が行く場所を知らないのです。
 
いずれにしてもこの道化師と言うものは、  
観客も誰も居ない、照明すら当たらない所で、
働き続ける裏方の道化師なのです。
 
おお、お願いです、月よ、  
こうした独りぼっちで黙々と勤める、心弱 き者達の夢があります。  
それはこの道化師ばかりではないのです。  
どうかそうした人達に、優しい眼差しの光を当ててください。
 
おお、お願いです、草よ、木よ、
 疲れた彼らの心の美しい慰めの椅子となり、  
風よ、雨よ、  
どうか緑の衣装や金色の飲物となって、  
そうした者達の渇いた願いを宇宙に熔けさせてください。  
そうした者達が乗れる新鮮な自転車と、ロープを降らせて下さい。
 
そして、宇宙の星よ、
 目に見えない努力はいつかは救われると、  
この道化師に語ってくれたように、  
そっといつまでも、夜空からささやき続けてください。

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